テーマ:心の病(7311)
カテゴリ:家族との関わり
今日は、祖母の命日だった。 母もわたしも、忘れてしまっていて(おばあちゃん、ごめんなさい)、 叔父夫婦が来て、ようやく思い出す始末。 母は、忙しすぎて、頭が回らない。 わたしは、ぼんやりしすぎていて、何かがひっかかってはいたのだが、アタマが回らなかった。 慌てて、ありあわせの夕食を供え、線香を立て、手をうさぎた(手を合わせるという感じか) 。 忘れてしまっていたことを謝り、自分の健康と家族の幸せを見守ってくださいと祈った。 祖母が、療養するために買ったベッドで、毎晩、眠っている。 マットレスすら替えていない。 祖母は、このベッドで横になりながら、意識のある最後の2週間に、 やるべき年中行事を必死で書き残し、 わたしたちへ貯金をどう配分してあげるか書き残したのだった。 わたしは、掃除の仕方、お裁縫、料理も、全部、祖母に習った。 祖母の家(田舎の)では、起きて布団をあげたら、 全部の部屋をほうきで掃き、部屋中と棚・仏壇を雑巾がけしなくてはいけなかった。 年中行事のときは、シンメー鍋(大きな大きな中華鍋のようなもの)で、 外のかまどで豚肉をゆでるのをさせられた。 かまどに、薪をくべるのだ。 サーターアンダギーも一緒に作った。 大きなきれいな青い魚をさばくのも傍で見ていた。 炎天下、家の周り中の草むしりもさせられた。道具を使って、根こそぎ取れと怒られながら。 6歳になったら、キモノを着せた小さな人形を作らされた。 わけもわからず、縫っていた。 できた人形は、平べったい地味なもので、 リカちゃん人形に憧れている子どもには、愛着が持てなかった。 今、手元にあれば、一番の形見になっているだろうに。 怒られはしても、ほめられたことは一度も無かった。 それでも、どこに行くのも連れて歩かされ、孫を自慢したがっていたようだった。 一度も褒められたことは無いが、ほんとうは、とても、可愛く思ってくれていたんだろう。 娘のいない人だったし、初孫の内孫だったから。 わたしは、乳児の頃からよく熱を出したらしく、母親が働いていたために、 祖母が、ヤンバルからでてきて、みてくれていたらしい。 それが、祖母と同居するきっかけになったようだ。 わたしのカラダが弱くなければ、こんなにたくさんの、祖母との思い出は無かったかもしれない。 弟や従姉妹は、そういうふうだから。 祖母がいて、父がいて、わたしがいる。 今、まだ、元気な、父の叔母達に、わたしのルーツを、もっとたくさん聞いておこう。 このブログを書きながら、何故か、涙が止まらなくなっている。 自分のココロの痛みを感じられるように、そして、たくさん泣けるようになりますように。。。 おばあちゃん、手を貸してください。 Blogならclick! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008年02月27日 01時26分17秒
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