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看護師という仕事柄、人の『死』に立ち会うことが時々あります。
先日も仕事中に同僚と何気ない話をしていたとき、 何気なく、以前お世話したSという患者さんのことについて尋ねたのですが 『Sさんは、先週お亡くなりになったそうよ。』 と言われ、とても驚きました。 Sさんは私と同じくらいの年齢で、 ちょうど10歳の女の子のお母さんでもありました。 末期がんでドクターもいろいろ手を尽くしたのですが もうその時点ではそれ以上はどうしようもなく 本人も家族も納得の上で、ホスピスに移ったのでした。 ホスピスに移ったことで、 近い将来に起こるであろう『死』を予期していても やはり実際にSさんが亡くなった、ということを聞いて とても信じられない気持ちになりました。 Sさんとたわいもない会話をしていたことが 本当に昨日のことのように思い出されます。 そして残された彼女の娘さんのことを思うと 同じ母親という立場として、とても複雑な気持ちになります。 そして今回は私の目の前ではなく、 離れたホスピスで起こったことだったので なおさら信じられないという気持ちもあったのかもしれません。 看護中に患者さんの容態が急変したり、 または病院内で最後を迎えたいという家族や(または患者さん)の希望などで 患者さんとの死に実際直面することもあるのですが でもそのたびに『死』について、また『生きる』ことについて いろんなことを考えさせられます。 もう何ヶ月前くらいから『死』を予期して、 それに対して心の準備ができていた人の死は とてもつらいけれど、それでもまだ前向きに受け止めることができます。 例えば、同じ末期がんであと1ヶ月と余命を与えられた患者さんがいたのですが ドクターからその宣告を受けた後に その家族が患者さんの好きだった場所へ連れっていってあげるんだ、と 早速残された1ヶ月の予定を立てていた家族もいました。 大切な人を失うことは本当につらいことだけど 少しずつ、すぐやってくるかもしれない『死』に対して 心の準備を始めていました。 世の中には本当にもっともっと生きたくても 生きられない人たちもいっぱいいる、という事実。 もちろん私もいつ『死』に直面するか分からないけれど。。 でも、毎日『生かされている』という、 普段は当たり前に感じていることに もっと感謝しなければいけないんだ、とあらためて思ってしまいます。 『生きること』ができる素晴らしさに比べると 日ごろの悩みなど、本当に大したものではないように思えてしまう。 よく聴いているExileの曲にも、 “生きているだけで君は宝物さ~!” という歌詞がありましたが(^^) 毎日『生きている』ことに感謝して 精一杯後悔のないように過ごしていきたい、 と、ふと感じた瞬間でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.11.24 20:00:04
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