|
カテゴリ:思春期
先日、転校してしまった子の事を書きました。 彼はきっと前向きに、新しい一歩を踏み出していることと思います。 (そう信じています)
ところがドロシーは、あれからずっと尾を引いてしまっています。 まだまだ弱いですね。 人を許すということがなかなか出来ません。 クラスの子たちに、反省の姿勢が見られない事に、 怒りと悲しみを感じています。
あんなクラス、最悪、大嫌い、最低、許せない。 キモイ等と言ったこと、転校と聞いて喜んでいた事、 許せない!反省して欲しい!と、 クラスメイトに対し、大きな不信感を抱いています。
あんなクラス嫌だ。 教室にいるのが苦しくてたまらない。 押しつぶされそう。 気持ちが悪い。 息苦しい。 最近、寝付けない。 眠ろうとすると、息が出来なくなる。 等と訴え始めました。
彼女の持ち味とも言えるかもしれないし、 相手の痛みを自分の痛みとして感じる事が出来る事は、 無関心でいるよりも、良い部分があるかもしれない。 でもそれは、反面弱さでもある。 何より、本人が生きていきづらいと思います。 だからこそ、不登校になったし、心身症になったし、 鬱になったし、神経症にまでなったのだと思います。
クラスメイトは悪かった。反省してる様子は見せない。 でも、その人たちの本当の心の中までは、見ることは出来ない。 もしかすると、心の中では、後悔したり、反省したりしているかもしれない。 そういうことまでは、あまり考えられないようです。
また、一つの出来事で、クラスメイトみんなが悪いみたいに思い込む。 本当に、みんながそんなに悪い子なのか? 中には、自分と同じように、心を痛めていた子がいるかもしれない。
現に、自分だって、結局は彼を守れた訳じゃない。 自分だけがいい子になっていないか? 自分以外の人の心の中を推し量る力が不足しているのではないか?
もしかすると、転校していった彼にとっては、 ドロシーも他のクラスメイトも同罪、 いや、小学校が同じ仲間であったからこそ、 もしかしたら、もっと罪は重いかもしれない。
「人を許す」ということは、 そういう目には見えない事に思いを馳せる事が必要だと思います。 ドロシーには、そういった心や、度量がちょっと少ないかな・・
人を許せない為に、 その事が頭から消せない。 考える度に嫌な気持ちになる。 大切なのは、じゃあ今どうしたら良いのか?だと思うのですが、 過ぎた出来事にばかり囚われて、大切な今を嫌な気持ちで過ごす。
「こんな人もいる」「こういうこともある」 「本当は反省しているかもしれない」 「もしかすると自分と同じように胸を痛めている子がいるかもしれない」 そういう風に物事を受け止める、 つまり、「現実を受け入れる」ということが必要だと思いますし、 それが「今を生きる」ということ、 すなわち、「生きる力」だと私は思うのですが・・・
正義感が強いのはわかります。 でもそもそも、人を裁けるほど、自分は完璧な人間なのか? 自分の考えだけが正しいだなんて保証はないですから・・・
また、人を「許す」ということは、 決して相手のためだけではないと思います。 許すことで自分も救われるものだと。 いつまでも相手の悪いところや失敗に囚われているうちは、 自分自身の幸せもありません。
そして、相手を変えようと思う心は傲慢であるし、 そんな思い通りになるはずもありません。 自分の心(考え方、とらえ方)を変えることで、 自分が相手から自由になり、幸せに過ごせるのだと思います。
まだまだ時間がかかりそうです。 今、こうして悩んだり苦しんだりして、いつかみつけていく答えでしょう・・・ 早く楽にしてあげたいけど、私はそこをグッと堪えて聴くだけですね。 と言っても、あまりにマイナスの感情ばかり膨らませるドロシーに、 ついつい批判的な相槌を打ちがちの自分を反省しています
GWも本番に入っていますが、 GW明けは、不登校になりやすい時期と言われています。 5月、6月は、相談件数も倍増するそうですね。 新学期、「はりきって」学校に通う子ども達。 学校に馴染むことができたでしょうか? クラスの中で居場所をみつけられないうちにお休みになる、 学校でも家庭でも上手に自分の気持ちを表現出来ないまま、 まだ、緊張感で何とか学校に通っていた子どは、 このGWによって、学校に行く足が遠のいてしまうことがあるようです。 あんまり神経質になる必要はありませんが、 このGWで、家庭での対応がブレないようにだけは、 気をつけたいと思ってはいますが・・・ なかなか難しいですね
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|