今だ、お盆出来ず。父親が、建てた墓。離婚した母親は、入れず、宮古の武家墓から、先祖のお骨も断られた。
首里の高台に建てた真壁の墓。
建てたとき、宮古の親戚から、宮古の武家墓が、道路拡張で無くなるから、出来たら、先祖様のお骨を移した方がいいよと言われた。
父親に話すと、あの墓は、父親の母親が、金を残したから、建てられた。
だから、宮古から、何も持ってくるなと言われた。
父親は、付け加えた。
お前のことだから、ユタに言われて先祖のお骨を持ってくるかもしれない。
持ってきたら、入れさせない。
あれから、20年、まだ父親は、元気だ。
母親は、すでに亡くなった。
離婚した母親は、真壁の墓に入れられず、お盆もやっていない。
墓ごとは、難しい。
信心深い母親は、墓がない。
真壁の墓にも入れず、誰も気に留めない。
あの墓には、先祖の魂も入っていない。
父親は、亡くなれば、両親と大分の叔母と
首里の墓に入る。
ただそれだけ。
大分の叔母は、私も知らない。
父親の母親が、大分の人で、いとこが、亡くなって身寄りがないので、父親に相談。
真壁の墓に入れた。
父親は、言った。
俺の墓だから、いいだろう。
父親は、お盆は、ほとんどやったことがない。
母親が、生前、やったことがある。
父親は、嫌がった。
母親は、お盆が出来たことを喜んだ。
離婚した母親は、真壁の墓には、入れない。
宮古のメモリアルパークに眠っているという。
その話を父親に話した。
弟と妹が、母親のお骨を宮古のメモリアルパークに郵便で送ったと。
父親は、私に言った。
ああ、あれだろう。
永代供養だろう。
お骨を捨てたんだろう。