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*少し重い話題になるのでスルーしてくださってOKです。
2月13日に叔母が亡くなりました。叔母の最後の様子を少しでも鮮明に覚えている間に残しておこうと思います まず2月12日父が叔父の一周忌法要のため帰省しており母が実家で一人のため家族で実家にて晩御飯を食べました。 叔母は父の妹であり本来ならば一周忌法要に父と一緒に帰省する予定でしたが叔母は足が悪く雪国へ電車で帰省するというのは体力的にも無理と言うことで叔母のだんな様と父が一緒に帰省しました。 娘が毎週月曜日と木曜日週二回幼稚園に通園しているため早めに自宅へ戻り娘が寝た後愛犬と少し長めのお散歩へ出ました。 戻ってきて患者様から頂いたチョコレートを食べていたら母から電話がきました。 ちょうど10時過ぎでした。 叔母が倒れたらしいと・・ そのときは私も母も翌日旅立つほどの病状だとは思わず父からの連絡を待ちました。 叔母のだんな様と同じホテルに父は泊まっていたためすぐに連絡が来てとりあえず叔母の次男が病院へ行っているのですぐに行ってほしいと言うことで娘は主人に任せ私は母と病院に向かいました。 自宅から車で20分ほどの病院で叔母の次男と会い状況を聞きました。 朝から子供二人を叔母に預け夕方6時半に子供を迎えに行ったそうでそのときの叔母の様子はいつもどおりだったということ。 しかし10時過ぎ叔母から電話があり気分が悪いので家に来てほしいと電話があったそうです。そのとき叔母の次男はすぐに救急車を呼ぶように言ったそうですがすぐ近くのかかりつけの病院へ行くと叔母は言ったそうです。 次男は車で20分ほどの実家へ行ったら鍵はあいており自宅にてかかりつけ医の先生が心臓マッサージをしていたそうでそのときは口と鼻から泡を吹いており顔色も悪く唇も紫色だったそうです。かかりつけ医の話によると最初叔母からしんどいから見てほしいと電話があったがすぐにしんどくていけないと電話があったそうでその後訪問した際玄関で倒れていたそうです。 まもなく救急車が到着しかかりつけ医にも同乗してもらい救急車で病院へ。。 その後まもなく私が到着したそうです。 病院へ到着してから1時間位してから集中治療室へ叔母は移され担当医から話を聞きました。 おそらく呼吸が止まってから20分くらいは経過しており脳に酸素がまわっていないとの事でした。 残念ながら希望が薄いと言うことでした。 お話を聞いた後私は一旦自宅に戻り早朝、父、叔母のだんな様、叔母の長男を迎えに行くため新大阪へ 車の中の話では叔母のご主人や長男には昨日の様子を聞かれることもなかったのですが回復すると、様子は本来の様子より軽く考えていたように思いましたが私は何もいえませんでした。 前にも触れたように叔母は父の妹で小さいころは叔母の息子二人とも非常に仲良くしていて一緒に旅行に行ったりだとかプールに行ったりだとか楽しい思い出でいっぱいでした。 叔母も足が悪いこともあり私の実家へくることもほとんどなくなり私が最後に会ったのは娘が生まれてまもなくお祝いを持って来ていくれたときでした 私はそれが最後でしたが亡くなる一週間ほど前バレンタインのチョコを持って実家を訪れていたようです。 話はそれましたが集中治療室の面会時間が決まっていたためそれまで時間をつぶし面会に行きました そのときには終末医療、あと集中治療室には18歳未満の子供は入室できないので孫等を合わせたいならば個室にうつってはどうか?あと親戚には連絡してくださいというお話があったそうです。 私と父はこの時点で実家に戻り今度は姉をつれてお見舞いに向かいました。私は娘が2歳なので車で待機、姉と母が病室へ向かい父は一睡もせず島根から帰省していたようで自宅で休んでいましたがその後父は呼び出され個室に移ったので娘も病室に入れることになり家族、親戚一同で叔母を見送れることが出来ました。 叔母は普通の会社員ですが普段からお付き合いの幅が広く300人ほど葬儀にも参列してくださいました。 私はそんな叔母を自慢に思いました。 叔母は明るく優しくとても大好きでした。 こんなに早くお別れがくるとも思っていませんでした。 叔母は倒れる当日まで元気に過ごしていました。当然翌日旅立つことになるとは思っていなかったと思います。 遣り残したことはなかったのだろうか?伝え忘れていることはなかったのだろうか? そういう気持ちでいっぱいになりました 叔母はちょっぴり太っており高血圧、お酒が大好きで毎晩夫婦で飲みに出かけていたそうです。 叔母の次男は確かに早すぎると思う。でも好きなことを最後までできたんじゃないかな?と言っていました。 もし私が自分の両親が亡くなったら?こんな風に受け止めることが出来るかな・・ 色々考えさせられる死でした おばちゃん・・・安らかに お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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