テーマ:ヨーロッパ旅行(4227)
カテゴリ:プラハ&ウイーン 2008
ミール広場から地下鉄に乗り、三つ目の駅で下車。 降りて川沿いに向かうと、「プラハの春」のメイン会場であるドボルザークホールのあるルドルフィヌムが。 そこを通り過ぎて、ユダヤ人地区に向かいます。
途中、色んなレリーフのある建物があって、なかなか楽しい~ このユダヤ人地区、実際は旧市街から歩いてすぐの所にあります。 そしてここには、いくつかのシナゴーグが。 シナゴーグと言う言葉はガイドブックでチラッと見て知っていたけど、それが何であるかまでは読まなかった私。 行ってみて、始めてわかりました。 そう、シナゴーグというのはユダヤ教会のことだったのです。
上の写真の一番奥の建物は、儀式(葬式)のための建物で、死体置き場でもあった場所。 ユダヤ人にとっての病気の意味や、お葬式などについて説明がありました。 右側の壁の中は旧ユダヤ人墓地。 ここは1400年代から1700年代後半までに亡くなった方が葬られています。 中の案内では、壊れた碑の上にドンドン次の人を埋葬していくので、土の中でも、亡くなった人が何層にも重なっているのだとか。 不思議と怖い感じはしませんでしたが、写真を撮る気はしませんでした。 何か写っていても嫌だし(笑) 共通券を買って、いくつかのシナゴーグを周ると、割礼や儀式を含むユダヤ教のことや、ここプラハでのユダヤ人の歴史など、いろんなことがわかるようになっています。 周っている中で、解説を読み、始めてユダヤ人地区というのはユダヤ人ゲットーだったことを知りました。 ここでまた世界史のおさらいです ゲットーとは・・いわゆるユダヤ教徒が住むことを許された、裏を返せばユダヤ人が隔離されていた場所。 そして、ピンカスシナゴーグに入って・・・ ここの教会の中の壁は、すべて字で埋め尽くされています。 解説を読んでショックを受けました・・・ ここに書かれているのは、ナチスに殺害された人の姓名、死亡した日、死亡場所だったのです。 もう数え切れないほどの人々。 8万人くらいの数だそうです。 ここプラハのユダヤ人地区で戦後まで生き残ったのは2500人程度とも。 他にも、その頃の子供が書いた絵や、収容所での様子などの記録があります。 ここであらためて、強制収容所のあるポーランドのアウシュビッツが、チェコの近くだったことを思い知らされました。 ここを見た後、アラベスク模様で内部が埋め尽くされた美しいスペインシナゴーグなどを周りましたが、正直、もう写真などを撮る気持ちにはなれません。 高校生の頃、広島の原爆資料館に行った時のことが思い出されました。
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