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2008.11.29
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ミール広場から地下鉄に乗り、三つ目の駅で下車。

降りて川沿いに向かうと、「プラハの春」のメイン会場であるドボルザークホールのあるルドルフィヌムが。

ルドルフィヌム_1_1.jpg

そこを通り過ぎて、ユダヤ人地区に向かいます。

 重い?

途中、色んなレリーフのある建物があって、なかなか楽しい~音符

このユダヤ人地区、実際は旧市街から歩いてすぐの所にあります。

そしてここには、いくつかのシナゴーグが。

シナゴーグと言う言葉はガイドブックでチラッと見て知っていたけど、それが何であるかまでは読まなかった私。

行ってみて、始めてわかりました。

そう、シナゴーグというのはユダヤ教会のことだったのです。

旧ユダヤ人墓地_1_1.jpg

 

上の写真の一番奥の建物は、儀式(葬式)のための建物で、死体置き場でもあった場所。

ユダヤ人にとっての病気の意味や、お葬式などについて説明がありました。

右側の壁の中は旧ユダヤ人墓地。

ここは1400年代から1700年代後半までに亡くなった方が葬られています。

中の案内では、壊れた碑の上にドンドン次の人を埋葬していくので、土の中でも、亡くなった人が何層にも重なっているのだとか。

不思議と怖い感じはしませんでしたが、写真を撮る気はしませんでした。

何か写っていても嫌だし(笑)

共通券を買って、いくつかのシナゴーグを周ると、割礼や儀式を含むユダヤ教のことや、ここプラハでのユダヤ人の歴史など、いろんなことがわかるようになっています。

周っている中で、解説を読み、始めてユダヤ人地区というのはユダヤ人ゲットーだったことを知りました。

ここでまた世界史のおさらいですスマイル

ゲットーとは?・・いわゆるユダヤ教徒が住むことを許された、裏を返せばユダヤ人が隔離されていた場所。

そして、ピンカスシナゴーグに入って・・・

ここの教会の中の壁は、すべて字で埋め尽くされています。

解説を読んでショックを受けました・・・

ここに書かれているのは、ナチスに殺害された人の姓名、死亡した日、死亡場所だったのです。

もう数え切れないほどの人々

8万人くらいの数だそうです。

ここプラハのユダヤ人地区で戦後まで生き残ったのは2500人程度とも

他にも、その頃の子供が書いた絵や、収容所での様子などの記録があります。

ここであらためて、強制収容所のあるポーランドのアウシュビッツが、チェコの近くだったことを思い知らされました。

ここを見た後、アラベスク模様で内部が埋め尽くされた美しいスペインシナゴーグなどを周りましたが、正直、もう写真などを撮る気持ちにはなれません。

高校生の頃、広島の原爆資料館に行った時のことが思い出されました。

 

 

 

 

 






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Last updated  2008.11.29 22:51:40
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