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カテゴリ:出来事
ご無沙汰しておりましたm(__)m ちょっとバタバタ(いつもの事?)しておりました。 今日は全くわんことは関係のない話で 私の覚え書きのようなものなので どうぞスルーして下さい。 2わんには悪いけどここ1週間程は 全く遊んであげられていません。 食事も最近手作り食にして調子良かったのに 手をかけてあげられず2日間ドッグフードのみにしてしまい ゆるゆるうん●になってしまって 母は後ろめたい気持ちでいっぱいですが そうそうあることでもないので仕方がないと割り切る事に・・・ 実は25日の夜に 大おばあちゃんが亡くなりました。 大おばあちゃんは義母の母で 10年程前に大おばあちゃんの長男(義母の兄)が 肺癌で入院する時に既に認知症だった為 我が家で数ヶ月過ごした後 施設に入所しその後伯父が亡くなってからも 長期入所で施設での生活をしていました。 当時京都市の南の端の方の施設へ よく義父母と伯母を乗せて行きました。 長い施設生活で施設を移るように指導を受けて 次の施設探しや見学や手続き等のお手伝いもして 大おばあちゃんは孫である主人の顔は忘れても 私の顔は覚えていてくれていました。 ここのところの2~3年は 私も忙しく近くの施設に移った後は 義父母を地下鉄の駅まで送る程度で あまり顔を出さなくなって忘れられてしまいました。 とても陽気で小さくて可愛い大おばあちゃんが 大好きでした。 よく私の顔を見て 『良いお顔したはるわ~♪』『握手して♪』 と言ってくれ嬉しくて 大おばあちゃんの大好きなプリンやチョコムースを差し入れると 『あ~美味しい♪入れもんも食べたいくらいやわ』 と言って笑わせてくれました。 この1ヶ月はかなり衰弱し 唯一判る義母の顔もわからない日もありました。 緊急連絡先が私の携帯になっていたので 風邪をひいたり状態が悪くなったり 何かがあったら連絡が入ってたのですが たまたま通話中だったせいか 25日は伯母に点滴の針が入らないと連絡が入り 義母に電話があったそうで もう2~3日しかもたないだろうと・・・ 仕事の後そのまま学校に長男を迎えに行って ジムに連れて行き大阪出張帰りの主人と待ち合わせ 買い物をしていた私に義母から電話があり 長男は主人に任せて急遽電車で帰宅 そのまま家には上がらずに義父母を乗せ 施設へ行くと久しぶりに見た大おばあちゃんは とても息が辛そうで見ていても痛々しい感じでした。 それでも義母の呼びかけに反応があり 『●●が来たで!わかるか?』の問いかけに 『わかる』と・・・ 暫く居たのですが まさかそんなにすぐに逝ってしまうなんて思わず 帰る事にして玄関に向かう途中 伯母と伯母の長女一家が病室へ向かうところと遭遇 伯母たちが病室に着いた時には 私達が帰った直後にかなり血圧が低下したとの事で 当直の先生と看護士さんが対応されていたようです。 それでも伯母達もまさかそんなにすぐだとは思わず 一旦帰宅。 伯母達が病院を後にした直後息が止まったと 私の携帯に連絡が入り 夕食をとっていた私はすぐに伯母達に連絡を入れましたが 未だ家に着いてなくて何度か電話してやっと連絡がつき 義父母を乗せて施設へ向かいました。 伯母達と同時に施設に到着し 病室へ行くとそこにはやっと楽になった大おばあちゃんが まだ暖かい状態で横たわっていました。 それから看護士さんが体を清めて下さって お迎えの寝台車に乗り数年ぶりに自宅の前を通って 葬儀場へ向かった大おばあちゃん よかったね。 信仰をしている義父がお経をあげた後 今後の事などを話してから 帰宅したのはA.M.2:00を過ぎていました。 翌日水曜がお通夜で木曜は告別式 ドタバタしていたけど近しい親族だけの家族葬で 笑顔で見送れるとても良いお葬儀でした。 明治・大正・昭和・平成の時代を生き 東京で関東大震災を経験し 33年前に夫に先立たれ 10年前に息子に先立たれた大おばあちゃん・・・ 来月のお誕生日を迎えられたら103歳になるはずでしたが 102歳の大往生です。 この人が母親だから 義母の明るい優しい性格が育った事がよく解ります。 義理の関係とはいえ大おばあちゃんの親族になれた事 とても嬉しいかった・・・ 有難う大おばあちゃん 安らかに眠って下さいね お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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