169541 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

じゃじゃ馬RAM&ぷりてぃくっきぃ

じゃじゃ馬RAM&ぷりてぃくっきぃ

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

カレンダー

お気に入りブログ

謎の電子音 猫の机さん

ぐりとちゃんぐり ちゃんぐりさん
りーちゃきの部屋~… りーちゃきさん
わんこでちゅ ちゃにさんさん
柴犬こてつのDOG… なごみスズさん

フリーページ

2010.05.10
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類

長い間ご無沙汰していましたm(__)m

実は6日の午前1時20分 77歳で父が逝ってしまいました。

8年近い闘病生活でしたが 前半はどこが悪いのか分からない位

普段どおりの生活をしていましたが

ここ1年は 腎臓の働きも悪くなり 徐々に癌が広がり

最後は 原発の前立腺癌から膀胱 肺 肝臓

リンパ 骨 腸 腹膜・・・と転移し

お腹の中は癌だらけでした。

本人には膀胱と肺の転移以外は知らせていませんでした。


仕事は 昨年の12月までは出勤し

2月頃までは電話でこなしていました。

もともと 島根県の出身で 京都府警の警察官でした。

50歳で退官し 自分の会社を立ち上げ

紆余曲折あって 最終的には

姉が立ち上げた 別の会社に勤めていた形ですが

姉は 実質 父の仕事を継いでいます。

ただ父が居なくなったので ストレスの大きい仕事でもあり

もう会社をたたもうと考えているようです。


小さい頃はパパっ子で『お父さんと結婚する!』

と言っていた私ですが

小学校の高学年からヒドイ反抗期に突入し

父の事が大嫌いになりました。

その反抗期は延々と続き いつ終了したのか分からない位です。


父は悪い人ではないけれど いい加減なところもあって

いつまでもわがままなやんちゃ坊主だったので

私がキツい言葉を発する事もしばしばで

よく腹を立てていましたが今は何に腹を立てていたのか

なかなか思い出せず 優しい父ばかりを思い出し

涙が次々とこぼれて来て困っています。


父とのこの1年は 女2人姉妹で 嫁いでしまい

姉は一緒に仕事をしていて 母より父との時間を長く過ごし

色々な面倒をみていましたが

私は 長い反抗期もあって あまり良い時間を過ごせなかったので

後悔しない為に 与えられた期間だったのかも知れません。

病院への通院の付き添いは多い時で週3回

急な呼び出しに備えて好きなビールも ひかえていました。


桜の時期に通院のついでに鴨川から高野川に遠回りし

満開の桜を見せてあげられ 父もとても満足していた事が

一番 私も嬉しく父にも喜んでもらえて

良かったな~と思っています。


最後は 入院したがらない父を年老いた母と2人の生活の中で

在宅で いかに無理なく過ごさせるか

介護認定を受け 色々なサービスを手配しながら

色々工夫して頑張っていました。


4月の中旬から足の力がなくなり膝が崩れると

自分では立てなくなって ようやく説得に応じ

ゴールデンウィーク前に入院しました。


母の体を休めるためでもあったので

ゴールデンウィークが明けたら 退院するか 外泊するか

とにかく一度自宅に戻って 再入院する予定でした。


それが4月26日に入院してからは 日に日に悪くなり

やめられなかったタバコを最後に吸ったのが

5月2日でした。


だんだん意識が朦朧としていましたが

時々ハッキリした目を見せ

『生きたい』

という気持ちを持っているのが よくわかりました。


最期の日は 午前中に看護士さんにシャンプーをしてもらい

『すんません』と かすれた声で返答していました。

ただ目に見えて状態が悪かったので 夜は帰り辛く

姉が交代し帰るように促してくれたので

一旦帰宅し 食事や入浴 後片付けをし アイロンをあてていた時

姉も帰宅した後で 容態が悪くなって病院から連絡があり

すぐにかけつけました。


私が付き添っていても 『家の用事があるやろしもう帰ってや』と

とても気を遣う人だったので

そうさせてくれたのだろうと思います。


荒い息で苦しそうな父を目の前に 早く楽にならせてあげたいと

心から思いましたが 姉と母を待つ為 父に

『もう少し頑張れ!』と声をかけました。

絶対に聞こえていました 頑張っていました。

母が来た時も 『来はったで』と声をかけると

心電図のモニターは反応していました。


亡くなったのは6日の未明 7日は友引だったので

7日がお通夜で 8日が告別式でした。


賑やかな事が大好きだった父を 多くの方々に送って頂き

本当に感謝しています。


駆けつける親族が皆

『お父さん 「○○がよくやってくれる」って喜んだはったで』

『よくしてやってくれてありがとう』

と口を揃えて言って下さり

本当はもう少しの間 病院で 付き添い 看護したかった私は

素直に喜んで良いのか分からない状態です。


これから暫くは思い出して涙する事が多いと思いますが

明るかった父のように いつも笑顔でいられるように頑張ります。


長文 最後まで読んで下さってありがとうございました。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2010.05.10 17:02:17
コメント(8) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.
X