|
テーマ:介護・看護・喪失(5301)
カテゴリ:その他
昨年5月に父を見送ったところなのですが 今度は義父を見送る事になりました。 12月15日に入院してから1ヶ月ちょっと・・・ 1月18日の未明に亡くなりました。 悪性リンパ腫でした。 悪性リンパ腫の疑いから1週間足らずでの入院でした。 何となく覚悟も出来ていたので心の準備も物質的準備も出来ていました。 ただ本人はこんな事になるとは思っていなかったと思います。 気管切開していたので認知症のために管を抜かないように 最初の5日間は24時間態勢で義姉の力も借りながら家族で交代で付き添い その後も朝から12時間以上の付き添いを 義姉と分担しながらしていました。 義母はほとんど交代することなく 毎日ほとんど12時間の付き添いをしていました。 常に義母と2人の態勢で付き添っていたということです。 お正月が明けて7日に義父と言い合いをしました。 言い合いとはいっても義父は話せないので筆談&口パクで・・・ その翌日に私は腎盂炎になりかけ救急病院で時間外に受診し 抗生物質を処方してもらい3日間付き添いを休み 長男が食事の支度や片付けをしてくれるので 家でゆっくり過ごさせてもらいました。 その3日目の夜に義父の容態が急変し 人工呼吸器をつなぐことになり そうなると意識がなくなるので話せなくなるからと 私も義父に会いに行きました。 最後に交わした言葉の内容が言い合いだったので このまま逝ってしまわれたら嫌だと思い もしもの時には呼んで欲しいと主人に頼んでいました。 病院に着くと状態が少し良くなって機嫌の良い義父に会え 冗談も交わし子供達とも会話(?)をしていましたが また急変しやはり人工呼吸器をつなぐことになりました。 それから丸々1週間眠ったままの義父に 午後から6~7時間付き添いましたが 最後の日は床について間もなく病院からの電話で 血圧が下がっているといわれて駆けつけたものの 病院に着いた時には義父の心臓は止まっていて 心臓マッサージを受けていました。 義姉にも連絡を受けてすぐに電話しましたが 遠いので間に合いませんでした。 それから葬儀場の都合で翌日の通夜そして翌々日の告別式になりました。 急遽くっきぃ&RAMはいつもお願いしている所へ 2泊で預かってもらいました。 楽しそうに過ごせたようで良かったです。 なかなか散歩すらままならず 運動らしい運動もさせてあげられてなかったので 早く遊んでもらえるココへお願いしようと思っていましたが 帰宅時間がハッキリしないために頼めないでいました。 くっきぃとRAMにお留守番をさせずに済んだのと 体調を崩して3日間ゆっくり休んだことで しっかりと通夜告別式をこなし 無事に義父を連れて帰って来る事が出来ました。 カミナリおやじの頑固ジジイは小さな箱におさまって 大好きな家へ帰って来てくつろいでいる事だと思います。 キツイ嫁と言われていたけど おじいちゃん 私 頑張ったの認めてくれるかな? 暫くまだ落ち着かないので また放置になるかも知れません。 父の訃報の時同様 長文を読んで下さって有難うございました。 義父82歳の誕生日まであと1週間でした。 2007年の義母&義父 義母のお気に入りの写真です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.01.23 01:01:16
コメント(0) | コメントを書く |