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なかなか強くなってこない陣痛を、微弱陣痛と言う。
通常陣痛というものは間隔は徐々に短く、痛みはだんだん 強くなってくるものなのだが、これが私の場合いつまで 経ってもそうはなってくれず、気付いたら陣痛から娩出まで 42時間というおったまげるような長い時間が経過していた。 間隔が5分感覚になったところまでは割りに順調であった。 が、そこからがもう、一向に縮まらない。 こういう状況、当人はどう感じるかというと。 あまりに長時間だと、段々とその苦痛すらが 退屈になってくるんである。 痛いよ~の苦痛と退屈が入り混じり、もうやめたいよ~ という心境になってくる。「ああ、痛いし退屈だしやだな。 でももう引っ込みつかないしな、やるしかないなあー。」 そんな感じだ。 だから、クリスマスに食べるはずであったクリスマスディ ナーのフォアグラは勿体無かったな、こんな事なら 行けたわよね、とか。考え始めたりもする。 そう。陣痛というものは始終休みなく痛い訳ではなく 、始めの方は妊婦は精神的にも肉体的にもかなりの余裕が ある為、結構外食ぐらいならする気ならば出来てしまう ものなのだ。 実際、陣痛が始まったからと産院を訪れた所、 まだまだだから様子をみるように言われ、あっさり 自宅に帰されてしまうケースも多い。 何が原因で微弱陣痛になったのかについては今もって 不明であるのだが、済んでしまった今としてはまあ どうでも良い事である。出産は、終わり良ければ、の 最たるものである。 人間とは案外、どんなに辛い事でもあまりにそれが単調で そして長時間に及ぶものであると、その辛い事のどこかに 可笑しみを見出してしまう、或いは見出すようになっている もののようである。人間に元々備わった苦難の人生を 歩む上での知恵、のようなもの、なのだろうか。 例えば、浣腸。 浣腸が必要な出産って行為ってそもそもなんだかなあ。 恥ずかしすぎるよなあ、羞恥プレイだよなあとか。 百戦錬磨の看護士さんに背後から淡々とグリセリンを 注入されながらひしひしと熱くなってくる下腹部を感じつつ 自分でひとりボケ突っ込みをしていると、自分がM女で あるかかのような妄想がもくもくと湧き上がり、次第に 可笑しくてたまらなくなってきたりする。 陣痛の「あいたたた」と「うひゃひゃひゃひゃおっかし~」が 渾然一体となり、もう訳の分からない精神状態になって くるんである。 ちなみに看護士さんはなかなかに女王様の扮装が似合い そうな方なのであった。 そんなこんなで私はあいたたたと脂汗をかきながらも、 食べるはずであったフォアグラの事を未練がましく 考えたり、あるはずもない看護士さんとのSMプレイの事を つらつらと考えていたんである。 痛みと痛みの間には意外にも退屈があり、そして 痛みと退屈の間には、意外にも笑いがある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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