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ゴールデンウイーク最終日の日曜の朝。
空はどんより曇り、日差しのない分肌寒く感じる。ひと月以上も 経ってしまったが、時間がたまたま空いたのでふと日記でも 書こうかと思い立つ。 忙しい日々を送っているとやはり日記は優先順位としてはかなり下の方に なってしまう。ひと月というとかなり長いが、私にはあっという間だ。 ネットに繋いでアクセスすると、そこにはぽつんと取り残されたような 青があった。滅多に更新されない事がまるで売りであるかのような、 おかしな日記サイトのトップページ。 9時過ぎ。寝室のセミダブルベッドでは夫が、ベビーベッドでは娘が それぞれ布団をはねのけてすやすやと寝息をたてているという 状況である。どこにでもある週末の朝の風景。私は彼らの布団を かけ直し、居間のパソコンに向かう。 久し振りに歩いてみると、あらゆる事を突然知る事になる。 リンクはしていないが時々読ませていただいていたで日記が 閉鎖されると知ったり、アクセスしない間に書き込んでいただいて いたらしい何名かの方からのメッセージを発見し、恐縮したりもする。 (返信遅れてすみません。ありがとうございます。) ちょっとした浦島太郎気分になる。 現在、私の起床時間は朝5時だ。理由は簡単で瞳の起床が大体 それくらいだからだ。この時刻になると彼女がどろりとした真っ暗闇の中で もぞもぞと手足を動かしている気配がする。ほどなく、その闇の中で 声がする。赤ん坊というのは、文章として表現のしようもないような 事を言う。大人が真似しようとしても絶対に出来ないような事を。 彼女の言葉を無理矢理今ここで文章として再現しようとするとこうなってしまう。 うるきゃっぽーがいやんがーうんぎぐーうきゃっきーんげーんがーうあー 「がいやんがー」というのをを初めてきいた時は、笑ってしまった。 なんと斬新な言葉であろうか。我々大人では決して出来ぬ発声である。 まるで怪獣の名のようだ。 沖縄地方の言葉のようだ、とも言える。 「がいやんがー」あちらの土産物にありそうである。 名産品「がいやんがー」は、恐らく那覇空港の片隅にでも置いてあるのだろう。 ひっそりと。「がいやんがー」は恐らく食べ物だろう。分かる人には 分かる通にはたまらない珍味で、嫌いな人はかけらも受け付けない そんな味をしていそうである。 おや、赤ん坊が泣き出した。寝室に向かおう。 ______________________ トースト、ベーコン、目玉焼き、サラダ、ヨーグルト、コーヒー というブランチをとり、12時過ぎ。 休日ではあるが、夫は会社へ出かけた。 5月は彼にとって大変忙しい月になる模様だ。 食事中娘はずっとぐずっていた。 大抵娘のぐずる時間と我々の食事の時間は重なる。 だから私達が食事をしている時に瞳が大人しくしている事というのはあまりない。 それは大抵、寝ぐずりだ。その前にご機嫌で遊べば遊ぶ程 疲れるので、疲れたよ、眠いよ、と全身で訴える事になる。 結構豪快に泣いては疲れたのかちょっと休む、を繰り返していたが、 こちらはやる事があるので放っておいたらば、気付けば夫がシャワーを 浴びている間にプレイマットの上で眠ってしまっていた。 そしてたった今眠りからさめ、また意味不明の言葉を話しながら 遊んでいる。そこにはどうやら彼女だけの世界が開けているらしい。 そこで彼女は決して我々大人には見えないものを見、聴く事の 出来ない音を聴いているのであろう。 窓の外を見やれば、相変わらずの曇り空。 温かいとも寒いとも言えぬような中途半端な日曜の昼下がり。 連日の慣れぬ早起きで、昼間は常に眠い。時々気が遠くなりそうになる。 娘は2時か3時頃から大抵長めの昼寝をする。 その時私も一緒に眠れば良いのだろうが、 用事があり、なかなかそうもいかない事が多い。 ああ、こうしている間にも気が遠くなりそうだ。 友人に借りた「センセイの鞄」をもう一度読みたいな。 そうだ、買い物にも行かなくては。 はっぴいえんどの「風街ろまん」が聴きたくなる。 セピア色をした、フォークロックの気分だ。 古井戸でもいい。 こういう天気の日に、人が理由もなくなんとなく 泣けてきそうになったりするのは、何故なのだろうか。 目を閉じて、その理由なき物悲しさに蓋をする。 草原に瞬間移動して、ひたすら眠りたい。 緑の匂い。通り抜ける風の音。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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