通勤のおとも・31
さて、これは先々週末に読み終わった本です。分厚かったけど、文字が比較的大きめの文庫だったんで思ったほど時間はかからなかったかも。多分3日くらいで読めたんじゃないだろうか。永遠の0-ゼロ- 百田尚樹なんせ分厚い本です、 文庫で本編の最後が575ページ、参考文献や解説を入れると590ページ近い大作です。いくら文庫でも、持ち歩くのはかさばりました司法浪人が続き、人生の目標を見失いつつあった健太郎とその姉でフリーライターを目指す出版社勤めの姉慶子が、それまで知らなかった血のつながった祖父・宮部久蔵の存在を知らされ、その人物像を、生存する戦争経験者に話を聞きながら迫っていく、という話です。そういった点では、よくある戦争を題材にした小説とはちょっと違う感じで、最初のほうは感情移入しにくい、という感覚もありました。実際に、宮部久蔵の視点から戦争体験を綴るのではなく、同じ戦場に偶然居合わせた何人かの元兵士たちからの証言は事実に加えて、その当人の感情も入ってくるので久蔵のことをよく思わなかった人物もいれば、立派だという人物もいて当初健太郎と慶子は戸惑います。特に、最初に話を聞きにいった戦闘機搭乗員としてラバウル航空隊で一緒だった、という男は、「海軍航空隊一の臆病者」「何よりも命を惜しむ男だった」と久蔵を手痛く非難して、特攻で亡くなる、という、勇敢で命知らずなイメージを覆すようなことを二人に話します。最初の話でそんなことを言われ、その後の調査にくじけそうになる健太郎ですが久蔵が特攻でなくなったのが自分と同じ26歳のとき、と母親から聞き、なおも久蔵を知る、という人を訪ねては話を聞いて歩きます。やはり、それぞれ印象が違うのか、違った話が出てくるので久蔵という祖父の人物像がわからなくなりそうな健太郎と慶子ですが話を聞くうちに、その当時の、国のために命を捧げるのが当然だった、そんな戦時下の日本の精神状態や、そこに生きたさまざまな人々の真実をだんだん知ることとなります。久蔵の人物像は、それぞれの人の意見が違っていたけど、彼は凄腕のゼロ戦乗りであった、というのは確かだったとわかってきます。ただ、戦時下においてタブーともいえる、卑怯者と誹られても生きて帰りたい、と公言していたという久蔵。短い祖母との新婚生活、その中で授かった健太郎の母、その「娘に会うまでは死なない」と、祖母との約束を守りきろうとした久蔵は、そんなに死にたくなかったのに、なぜ特攻に志願したのか?という一番の疑問の答えに、戦後長い間封印されていた、その真実が最後に明らかとなります。・・・それを書いていいものか、ちょっとわかりませんが、、、というのも、映画がこれから公開(12月21日)なんで・・・読みながらも、そのわかってる範囲の配役の顔が浮かんできてイメージはすでに映画のイメージに重なってしまいましたただ、久蔵は原作では大柄な男性ということになっていて、、、岡田くん・・・小さいぞとにかく、日本が最後に経験した戦争、というものの、ひとかけらも私は知らない、と痛感しました。この小説のために、たくさんの文献を調べた筆者のようですがそういった書物を少しでも読むべき年齢になったのでは、と感じたわけです。作中に出てくる、健太郎が話を聞きにいったたくさんの元兵士たちは入院中であったり、家族に先立たれてひっそり暮らしていたりする、当然ながら高齢の方たちですが、戦時中のことははっきりと、詳しい内容を覚えていて、それを今でも鮮明に話すことができます。戦地に実際に赴いた母方の祖父も、亡くなる前は半分認知症でしたが戦時中のことは最後まで克明に細かいところまで覚えていて何月何日のどこの場所で、どの人がこうだった、といった話をしていたのとふっと重なりました。読んでいて、大泣き、というまでには至らなかったけどでも最後の最後に、ああ、そういうことだったのか・・・と思うとやはり目の奥がつーんとした。。。そして、エピローグに書かれた久蔵の最期・・・は、非常に悲しいものでした。戦争って、ホントなんなんだろう、と強く思います。今この瞬間も戦火にある、市井の人たちを思うと、心が苦しくなります。国がどうであれ、実際に戦場にいくのは普通の生活をしている、普通の人たち・・・やはりこういったものは、知る、という上で読むべきものなんだとう、と思います。永遠の0 講談社文庫 / 百田尚樹 ヒャクタナオキ 【文庫】