テーマ:双子ママの日記♪(1297)
カテゴリ:Family ★ うちの家族
今日は双子の娘の誕生日だった。
シェフのお店にケーキを買いに行ったら、試作品ですけど、とシェフがチョコレートケーキをくれた。 夜は娘のリクエストでハンバーグ。 ひき肉だけでなく牛肉の切り落としをいれて、野菜をよぉーく煮込んで作ったデミグラスソースで煮込んだ。 ろび用は、ひき肉だけで作ったハンバーグに茹でた野菜(にんじん、いんげん、とうもろこし、セロリ、マッシュルーム)を添えた。 娘もろびもすごい勢いで食べた。 今から12年前の双子の娘を産んだ日もとっても暑かった。 臨月の時は、かなり大きなお腹で105cmあった。 当然、普通のマタニティウェアはきれなくて、母が縫ったウエストゴムのパンツに男物のLLサイズのTシャツを着てた。 足もぱんぱんに浮腫んで普通の靴ではムリで、父の男物のサンダルをいつも履いてた。 自分では靴下ははけないし 足の爪も切れなかった。 寝る時もあお向けにもなれないし、もちろんうつぶせにもなれない。 横向きになって寝るのだけど、一定時間がたつと重みで下側の体がしびれてきて、寝返りをうたなければならない。 でも、一人では寝返りができないので、隣りに寝てる母に転がしてもらってた。 お腹の中はかなり狭かったのだろう。 ご飯を食べて胃が膨れると、余計にせまくなって、お腹の中で赤ちゃんが暴れだす。 お腹が破れるぅぅぅっといつも思うくらいの勢いで暴れてた。 うちの娘たちは2900gと2800gあった。 その日はその病院では、お産が3回あって、4人の赤ちゃんが産まれた。 小さな病院だったので保育器が2個しかなくて、他の赤ちゃんよりも大きかったうちの娘たちはさっさと保育器から追いだされた(笑 双子のお産は1回ですむからいいわね。とよく言われるけど、あたしの場合は違った。 2番目の娘は普通分娩で頭からするりと産まれて、 3番目の娘はなかなかでてこなかったので、分娩台の上で7時間待って、結局は帝王切開した。 手術をするのにご家族の同意がいるのでと先生がパパと相談しにいった。 あたしは分娩台の上で叫んだ。 「お腹を切るのはあたしなんだから、あたしに相談して~」 パパの同意をとりつけた上で先生があたしに説明をした。 手術の必要があること、輸血の必要があるかもしれないこと 体が弱っていたせいかすごい勢いで麻酔がきいたのだろう。 意識がとんだ・・・・ 気がつくと、あたしはクレヨンで書いたような原色のお花畑にいた。 黒い影のような人がたくさん、あたしの周りにいた。 あれ? あたし 何をしてたんだっけ? えーーっと えーーーっと・・・ なんかやらなくちゃいけないんだよね。 こんなところでのんびりしてちゃいけない。 と思った時に遠くで誰かがあたしの名前を呼んでる。 「〇〇さぁーん。〇〇さぁーん。」 声がどんどん近くなってきて 私の頬を誰かがぴしゃぴしゃ叩いてる。 気がついたら分娩台の上だった。 そうそう、あたしは赤ちゃんを産んでるとこだった。 意識は戻ったけど、血圧を読み上げる看護婦さんの声。 80・・・60・・・20・・・ ん?20? そんなに低くて大丈夫なのか?>あたし 出血がかなり多かったらしく1500cc輸血した。 胎盤も1500gくらいあって、赤ちゃん2人が約6000g一日で9キロ体重が軽くなった。 産まれてきた時、三女は真っ白で たぶん母子ともにとっても危険な状態だったのだろう。 今まで私の中で最高にしんどかったのは、イギリス旅行中に妹と体調を崩した時だったけど・・・この時は、もっと、しんどかった。 お産の後も体中の色んなところが筋肉痛で痛いし 麻酔が切れて、切ったお腹も痛いし、次女の後産も痛かった。 んんっつという咳払いをしちゃいけないので、一晩中、あーーーーっあーーーーっと 言って喉のつまった感じをとった。 夜中に看護婦さんが 食事を持ってきてくれた。 お粥っていうか重湯、かぼちゃのペースト状になったもの あと緑色のゼリーの液状になったもの(何だったか今だに謎。。。) めちゃくちゃ美味しいと思った。 食事ができること、咳払いができること、眠れること、普通のことができることにすごく感謝をした。 そう・・・今では、あの時大変だったこと忘れてるなぁ。。。 痛みも忘れたけど、感謝する気持ちも忘れてる・・・といろいろと思い出した日でもあった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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