脳梗塞発症 33日目
2003年6月11日 水曜日 33日目今日は、エリが短縮授業なので、帰ってくるまで家で待っていてやることにした。その間、市役所に電話をし、障害者手帳と、障害者年金のことで問い合わせたをしたのだが、いずれも脳梗塞の場合は発症後1年半経ってから診断書を提出し、審査をして障害の等級を決定後発行することになっているとの事。基本的には、脳梗塞の場合発症後1年半が回復期間とされているらしい。さぁ、これから1年と5ヶ月でどこまで回復してくれるんだろう・・・マサヨの所へ行くと、今日はやけにしんどそうだった(寝ていた)。『マサヨ、来たで!』って声をかけると目を覚ましてくれた。いろいろ話しかけたりすると、結構反応はよかった。『いっぱい、いっぱい愛してるよ』って声をかけると、すっごく反応し泣き出したりする。看護士さんが来て、昨日の夜にアイスクリームを食べさせたら結構喜んで食べたので、今日も買ってきてほしいとの事。思わず『うっそぉ!』って叫んだ。もう、食べれるんや!でも、まだ通常の栄養補給は鼻から胃まで通したチューブで行っている。しばらくすると、理学療法の先生が来て右手、右足のリハビリ、そして何と今日は座る練習をした。ベッドの端に足を垂らして座る。左手で体を支えて座った。首は下に垂れ、うつむいたままだが、上を向くように言うと、ゆっくりだが顔を上げる。でもまたすぐに下を向いてしまう。・・・まるでまだ首のすわっていない乳児のように・・・やはり疲れるようだ。今日もまたびっくりの連続。マサヨ、すごい、すごいぞ、頑張れ、頑張れ!・・・えっ?わかってるって?えらいすんまへん!こういったリハビリを継続していくことで、脳を活性化させていくようだ。今日も、皆さんに感謝です!2006年6月11日 日曜日現在、マサヨは身体障害者手帳の等級は1級(肢体不自由で右上肢機能障害2級、右下肢機能障害3級)であり、障害基礎年金も支給されている。今、社会保険庁の年金問題が取りざたされており、私も年金なんて将来もらえるかどうかわからない、と考えていた一人だったが、まさか自分の妻が36歳で年金をもらうことになろうとは・・・でも、これは本当に助かります。ちゃんと年金払っててよかった!とつくづく思いました。ただ、支給決定されるまではかなり苦労しました。マサヨに決定が下りたのは2004年3月、通常であれば発症後1年半を経過してからということなので、2004年11月以降となるはずなのだ。最初に市役所の年金課の窓口へ行くと、1年半経過してから出直すようにと説明書だけを手渡され門前払い、主治医や病院の事務局の担当者(結構仲良くなっていたので)、さらには友人の医師などに相談し、再度市役所の年金課へ行くと、市役所は取り次ぎだけで担当窓口は社会保険庁になっているので、社会保険事務所へ行くように言われる。・・・・えっ!?最初から言ってくれよ!と少し腹がたった。社会保険事務所行くと人で溢れており、番号札を取り約2時間待ち、やっとのことで窓口へ行くと、またまたお決まりのセリフ、1年半経過後に申請して下さい・・・2時間待って、1分で終わり!?その後何度も病院と社会保険事務所に足を運び、やっとのことで、脳梗塞の場合、基本は1年半経過後に申請することになっているが、それ以外に医師が病状がある程度固定したと判断した場合は、それまででも申請は可能であるということがわかった。・・・ついでに役所の言いなりになっていてはダメだということもわかった!何と、その為の申請書類もちゃんと用意されているのだ!何で、最初からそういう説明をしてくれなかったの??そして、主治医に肢体障害用診断書、精神障害用診断書、そして病歴経歴書、など社会保険事務所でもらってきた書類に記入してもらい提出し、支給に至ったのだ。腹も立ったが、今となっては年金制度に感謝しています。今日は日曜日、お約束のエリとのお人形遊び・・・ワールドカップが開催されて以来、寝不足気味なのだがが・・・まぁしょうがないか・・・今日は何の役をさせられるんだろう??