心の広さとは?
毎朝拝聴させて頂いてる鎌倉円覚寺の横田管長さんのYouTubeラジオあまりにも素晴らしかったので引用記録を残します。「広大なるかな人間の心よ、天は空高くして極限がないが、それにしてもその心はその高さを超えて出でるものがあり、地は層が厚くして測ることができないが、それにしてもその心はその厚さの下をそれ以上にひろがり出でるものがある。太陽や月の光も心の光に較べたら、その光を超え得るものでなく、したがって心の光は日月の光明の上にさらに超出している。」(『日本の禅語録1 栄西』柳田聖山訳)という意味です。心というとどれくらいの大きさを考えるでしょうか。体のどこかにおさまっていると思う方が多いように感じます。しかし、心は広いのです。体の中に収っているようなものではありません。大空よりも広いのです。地面よりも深いのです。それくらい広いので、そこには自分と他人との境も区別もありません、生と死の境目もまたありません。何の区別も差別もないから「空」ともいいます。 そして「空」なるが故に、一切のものを覆い包むことができます。この広い天地も覆い尽くすのです。 それだから自分だけのことでなく、他人のことも思いやることができます。現地にゆくことはかなわずとも、被災地のことを思いやることもできるのです。何か自分にできることはないかと思うこともできます。 できる範囲で支援も可能なのです。更に遠く海の向こうのことまでも思いやることもできます。檀林皇后は、唐土(もろこし)の 山のあなたに 立つ雲は ここに焚く火の 煙なりけりと詠いましたが、遠くで起きてることが、自分のところのように感じることができるのです。遠くとこちらとの隔てがないのであります。