カテゴリ:思うこと。
私が中学に上がった頃から、大学3年生くらいまで 実家にはうさぎがいました。 ミニうさぎです。 でも、全然ミニじゃありませんでした。 むしろ普通のうさぎサイズ・・・。 ミニうさぎは両手に乗るくらいの大きさにしかならない と聞いていたのに、 日増しにでかくなる我が家のミニうさぎ そんなミニとは呼べないうさぎたちは3匹いました。 姉が職場の上司から、いただいてきました。 まだよちよちの頃に我が家に来たので それはそれは可愛い盛りでした。 ♂が1匹と、♀が2匹 名前は たろう(♂)、いよ(♀)、もも(♀) 並べ替えてみてください・・・ いよ!桃太郎!! と、桃太郎を称賛する台詞になります。 ちなみに命名は、らむのみみ母でございます。 普通、ミニうさぎは5年が寿命だと聞いていましたが、 我が家の似非ミニうさぎたちは、10年近く生きていました。 本当は好きなのに 「うちは動物や嫌いじゃ」 と言いながら、 毎日ウサギ小屋を水洗する母。 母が一番うさぎを可愛がっていました。 母のおかげで、うさぎたちは毎日衛生的な環境で暮らせていました。 だから長生きできたのでしょうか。 うさぎを飼っていると、顔を合わせるたびに思うことがありました。 それは、小屋から出て好きに動けない動物を飼うのはつらい ということでした。 友人は、家の中でウサギを放し飼いにしていましたが、 そんな風にうさぎを躾けられるということを知らなくて、 最初からウサギ用のケージで飼っていました。 母がウサギ小屋を掃除するときだけ、 うさぎたちは猫の額のような庭を動き回れます。 けれどケージの外は怖いのか、すぐに洗濯機の後ろや 陰に隠れていました。 同じ怖い思いをするにしても、 自由に動けるほうがいいのではないかな、といつも思っていました。 そして、そんな環境で育ったからか いよとももは子育てを放棄してしまい、 ケージをたろうと離してもなお、なぜか生まれてくる子ウサギたちを 一匹として大人にしてやることはできませんでした。 うさぎは、ねこと違って、人間が育てるのには限界があったようです。 うさぎたちがみんな亡くなってしまった後、 母が私にこんなメールを送ってきました。 「自由に動けない動物を飼うのは可哀相と言った、 らむのみみのことばを思い出す。 もううさぎは飼いたくないね。」 いよ、ももが亡くなって、最後まで生きていたのはたろうでした。 母は一番たろうを可愛がっていました。 たろうの食欲がだんだんなくなってきて もう、たろうも長くないだろうと思っていたとき 母はたろうに呼ばれたと言っています。 たろうの小屋を見に行くと、我が家に来たときの姿で 「ありがとう」と言って亡くなった、と言います。 罪悪感を負い、感傷的になっていた母が見た妄想かもしれませんが 私もこの話を聞いたときは、涙が止まりませんでした。 いよ、もも、たろうは、少しでも幸せだったのかな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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