父の命日
今日は父の命日。父を思うとき、私の子供のころを思い出す。子供のころ住んでいた家は10畳と8畳の和室、8畳のキッチン、風呂、トイレ(50年前になぜか洋式)2つの和屋は昔ながらの回廊で囲まれていた。4人家族にとってここで生活するのは今から思えばちょっと狭い。でも、3歳から住み慣れた家なので普通に住んだ。庭はとても広くて、多分、1,000坪近くはあったと思う。門から家までのアプローチは小型車だったらすれ違うことができる幅のコンクリートの路。脇には背の高い針葉樹林が植えられて春には水仙、夏には山百合、秋には萩が咲いた。50坪位の梅林があり、栗の木も何本もあり柿、いちじく、あけび、茶畑、いろいろあった。大きなさるすべりは、友達3,4人で登って基地ごっこをした。先まで行ったことのない奥深い竹藪使っていない井戸入ったことのない納屋冒険心くすぐるアイティム満載(笑)そしてここには我が家のほかにもう一軒、平屋の白い洋館が建っていた。コンクリートの路はこの家の前で終わり。そこは、父の務める会社の社長さんが夏に避暑にくる洋館だ。父は、地方の新聞記者だった。そしてここの洋館と敷地の管理人も兼ねていた。管理人とはいえ、管理をするのはほとんど母で管理と言っても社長さんが来られる前日に部屋を開けて風を通しておくだけ。植木屋も毎年来て手入れしていたし、社長さんのご家族は東京からお手伝いさんを引き連れてきていたし、1,000坪の屋敷の管理人は、かなりお気楽だったと思う。父は8畳の和室に机を置き、原稿を毎日書いていた。朝から取材に行き、昼前に帰って母の作る昼食を食べながら書いていた。3時前の電車に原稿を載せると酒好きなので、何もないときは家に直行して、一杯飲むことが多かった。8畳のキッチンには父が作った写真の現像室もあった。時々真っ暗な現像室で、父が撮影した私たちの写真が焼きあがるのを見せてもらうこともあった。父は古くなった風呂場の洗い場もコンクリートの材料を買ってきてまるで温泉場のような岩石風呂に作り直して家族を喜ばせた。でも、とにかく酒好きだったので武勇伝も数多くあり、玄関あとわずかのところで、ハタと良いつぶれて寝ていることもあったし、母が一番恥ずかしい思いをしたのは朝、近くのモーテルから電話があって『お宅のご主人サマが、ゆうべからこちらで休んでおられます』と言われたこと。あわてて財布を持って連れ戻しにいったそうだ。そんな父の今日は命日。大腸がんで何度か復活したかのようにみえたがついに8年前の今日、逝ってしまった。父の命日に、最近行けてない。母もユルい性格なので、来れるときに来ればいいよー、、と言うのでだんだん命日も忘れがち(オイオイ・・・(-"-)ことしも、ぎりぎり今日の午前中にお線香とお菓子を届けることができた。 セーーフおとーしゃん、親不孝な娘でごめんよーー墓参りは8月末になりそうだよーー。ついでに、ブログの書き込みも命日に間に合ったーー セーーフ