私が「夕やけ小やけ」が好きな理由
札幌での研修が終わって新千歳空港へ。予約してた便まで1.5時間もあったので、ビールを飲みながらandroidのタブレットでメールしていると、「ここWIFIは入りますか?」と同年代くらいの男性が話しかけてきました。私はイーモバイルなので、「5台までテザリングできます。どうぞ使ってください」と言って回線を貸しました。その人は小児科医でした。米国のドラマ「ER」に夢中な私は、ここぞとばかりに質問攻めにしました(笑)。お互いにタブレットの写真やブログを見せ合いながら自己紹介をしつつ、会話は弾みました。その時、たまたまネットのニュースページを開くと「世界の人口が70億人を超えた」という記事がありました。すると途端にその人のトーンがダウンしました。そして語り始めました。(以下、要約すると、、、)どんな仕事でも突き詰めていくと色んな壁に当たります。私たちも同様です。技術的なことより医学はどこまで進歩すればよいのか?を考える時があります。この人口問題は、私たち小児科医にとっては非常に大きな問題なのです。そもそも、かつては医者と言えば、外科医的なものしかなく、小児科はなかったわけです。小児科の進歩が爆発的増加に影響しています。昔は、子供をたくさん生んでも、20歳まで生きられる人は4人に1人、5人に1人でした。つまり、弱い子供たちはそのほとんどが成人になる前に亡くなっていたのです。これは動物の世界と同じです。たくさん産んで身体と頭脳が強いものが生き残る。よく歴史の偉人たちの死亡年齢を見ると驚きますね。医学が未発達だった時代に、食料も満足でない上に、不衛生な環境でもよく70歳とか80歳までよく生きられたな、と。それは「生き残った強い種」だからです。それに、その偉業を見るたびに強い精神力と頭脳明晰なことも驚きますね。これも優秀な種だからです。しかし、小児科の衣装が発達してくると、幼児や子供時代にかかる多数の病を治せるようになってきて、結果として、弱い種が成人まで生きられるようになってきたのです。すると、元々弱いので、成人後も、多数の病に冒されます。これは、ある意味でイタチごっこで、どんどん新たな病原は発見されるのです。強い種は、ほとんど病気らしい病気をしないで、老人になり、死を迎えます。病気と言うのは、見方を変えれば人類の人口調整機能の一部という解釈もあります。つまり、増え過ぎないようにするのです。(他の動物と同様です)このように医学の発達は弱い子供をも長生きさせるので、人口も増加し、さらに精神的にも弱い人や病気も増加するので、医療費問題からは逃れることはできないのです。さらに、人口が増えると、国家間の領土問題の摩擦が高まり、エネルギー、食傷の争奪戦、環境破壊、、、と人類に巨大なテーマを投げかけてくるのです。ある地質学者たちの調査によると、日本の国土全体のバランスを考慮すると、7,000万人くらいまでが適正範囲であると言います。ある程度、自国内で自給自足して、環境を維持して、(山、川、海の保全など)健康的に暮らせるという視点での評価です。(江戸時代は産業革命もないのに、当時産業革命真っ最中だったイギリスとほぼ同じGDPだったわけです。鎖国して完全自給自足生活だったが人口3,000万人が生活することができた、と言います)中国は、だいたい5億人が限界と言われています。世界全体では、せいぜい20-25億人です。(1950年頃)その後、医学の急激な進歩により70億人になった。そもそもその地形環境から適正な人口は決まります。それを超えるようになると、様々な問題が噴出することになります。このように医療に関わる人間たちにはこうした苦悩を抱いている者も多いのです。、、、などなど、普段と違う視点のお話し出で、とても考えさせられました。===言われてすぐに思い出したのは、祖母でした。96歳で他界するまで、病気知らずで畑仕事をしてました。最期の朝、ベッドで軽く食事をして「眠い」というので、ふとんに入りました。その後「夕やけ小やけ」を口ずさんでいました。私たちは隣の部屋で「珍しいね」などと話してました。しばらくすると歌が止みました。もう寝たかな?と見に行くと、息を引き取ってました。重い病気にもかからず(よって入院生活もなし)、最期に歌って他界しました。多分、昔の「強い種」の人間だったのかなと思います。その孫の自分が祖母ほど強い種だとは思えませんが、最期は夕焼け小焼けを歌ってみたいものです。