2122100 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

レジャーサービス研究所(東京&上海)

レジャーサービス研究所(東京&上海)

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Profile

レジャ研所長

レジャ研所長

Category

Calendar

Freepage List

Archives

2024/05
2024/04
2024/03

Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

たかが楽天~「あっ… bmjapanさん
春にして君を離れ ぽち.さん
失敗?成功?教師辞… 教師辞めて上海【のむてつ】さん
■Lifenaviの幸せの法… lifenaviさん
Dr.さんだの売れる発… さんださんださん

Comments

 背番号のないエース0829@ デパート 「沖縄りうぼう・SNOOPY」に、上記の内容…
 マイコ3703@ キーワード検索でたどり着きました☆ ブログを見ていると、時間が経つのも忘れ…
 山本1998@ Re:観光産業の緊急課題は外国人の給与改革!(07/18) アフィリで稼いだ楽天キャッシュはどうし…
2010/03/20
XML
カテゴリ:教育・研修




今日は久しぶりに都立鷺宮高校時代の同級生と飲みました。
現在の話しと高校時代の話しが行ったり来たり、、、とても楽しい時間でした。

高校受験の時に、ある意味では生まれて初めて
「この高校に入りたい!」という強い意志を持って受験しました。
当時の偏差値は、、、忘れた(笑)。

高校受験に当たっての高校選びは、
基本的にその高校の文化祭に行って、その雰囲気で決めました。
(それがいいかどうか?は別として、なぜかそれで決めようと思ってました)

だから中学一年から秋の文化祭シーズンは文化祭の視察で忙しかったです。
考えてみれば、本格的に視察をするようになったのはこの頃です。

中学三年の時に、都立鷺宮高校の文化祭に行って、
夜の後夜祭まで見て、「ここだ!」と決めたわけです。
なぜなら、「青春っぽかったから」です(笑)。

それまでテレビでみていた青春ドラマと最も近い感じがした、
ただそれだけかもしれません。

以来、何かに合格しても、この時以上うれしかった記憶もありません。
幼かった分、相当うれしかったんだと思います。

そして、入学すると初日からど肝を抜かれるわけです。
新入生歓迎コンサートとかあって、
ロックやフォークのバンドのコンサートがありました。

「僕も高校ではバンドでもやってやる!」と買ったばかりのギターを練習したてので、
そのコンサートで「どんでもない所に来てしまった」と脱力感に襲われます。

それもそのはず、当時から都立鷺宮高校と言えば、
軽音楽同好会のレベルは突出していて、
以前も現在も、多数のアーティストやスタジオミュージシャンを輩出してました。

70年代の高校生にとって、
いきなり、クルセイダーズやウィッシュボーン・アッシュに
サディスティック・ミカ・バンドやボブ・ジェームスの曲ばかりで、
楽器も、ブラスにパーカッション、、、とイメージしていたバンドと随分違うな、と。

ようするに難しい。皆、大人過ぎる、、、とおもったわけですな。
(自宅でかぐや姫ばかり練習していた自分が場違いな感じでした)

ちなみに、同級生には寺門ジモンがいます。
3年間同じクラス。
現在の彼は高校時代からほとんど変わってないのが驚きです。

まじめで勉強もできて、運動神経も抜群。
まさか芸人になるとは、、、。

さて、社会に出て、この高校が素晴らしかったと実感したのは、
生徒会や体育祭、文化祭など、
それぞれの委員の選出やその運営など、徹底的に生徒の力での自主運営をさせていたことです。

私の場合、中三で見た文化祭をいつかは自分も関わりたいと思っていて、
それをポロッと話したら、
その噂を聞きつけた3年生と卒業生の先輩に喫茶店に連れて行かれて、
「おまえ本当に文化祭やりたいのか?」と迫られました。

「ええ、できれば」と軽い気持ちで返事しました。
できればスタッフの一員に加えてもらいたい、、、という気持ちで。

「ならば、再来週の生徒会の選挙で立候補しろ」とのお言葉。
「選挙?なぜ僕が?」
「文化祭の実行委員長になるなら選挙で選ばれなければならないんだよ。
知らないのか?」

そんなのまったく知りません。
「第一、仮に出ても、全校生徒を知っているわけでもないし、、、」
それに委員長をしなければならない理由がわかりませんでした。

必死に避けようとすると、
「あとは俺たちに任せろ」だけで、
選挙当日、わけのわからない演説を話して、
翌日に委員長になってました。

すると今度は、顧問の先生に紹介されます。

言わたことは、
来年の9月◯◯日に文化祭を実行すること。
そのための予算は300万円。
(たしかそんな金額でした)
必要な組織図とその役割の説明。
(会計、後夜祭、食堂、広報、副委員長、、、、)
毎週、進捗状況を報告すること。

そして、トドメが、
「一か月以内に組織のメンバーを探して揃えること」

「えー?僕が自分で探す?」
変なの、と思いました。
すでに委員で選ばれているのかと思いきや「自力で探せ」と。

それから、生まれて初めて「人材探し」を経験します。
その仕事の内容もわからないのに人材なんて探せるわけがない。
今回は、全ての仕事に対して「予算」が割り当てられるからです。
もちろん、生まれて初めての経験です。

この委員長の仕事で唯一ありがたい条件は、
「文化祭の業務に携わった先輩たちには聞き放題」と言うこと。

本当かな?と思いながら、一人ずつ訪ねていくと、
皆が懇切丁寧に昨年の資料を見せてくれたり、アドバイスをくれます。
そして、その人達の力を借りて、スタッフを口説いて回るわけです。

その場所も、喫茶店もあれば、校舎の裏もあれば、日テレの前、伊勢丹、、、
など、目指すメンバーを獲得するためにどこにでも行きました。

そうしてメンバーが揃うと、文化祭実行委員室なる部屋が与えられて、
毎週定例会を開きながら、準備を進めて行きます。

ここで顧問の先生に指示されることは、
「まずは今年の文化祭のテーマを決めなさい。
そして、そのテーマを表すロゴを作りなさい。
しかし使っていい色は<白+2色>まで(予算の関係で)
そして、広告宣伝用のポスターをデザインしなさい。
それができたら、テーマソングを作って、録音しなさい」
、、、というものです。

全てを揃えて顧問の先生にOKをもらわなければなりません。

「テーマ」とか「ロゴ」とか「広告宣伝」などとは無縁の高校生。
勇気を出して「先生、テーマってなんですか?」と私。
すると、
「だからわからないことは先輩に聞け」だけ(汗)。

結局、最初から最後まで先輩に相談しながらやることになるわけです。

その後は、現在の運営コンサルタントの基板となるような経験のオンパレードでした。

文化祭に食堂や喫茶店、屋台を出すのに、保健所への申請、
大量の氷は学校ではつくれないから、行きつけの喫茶店にお願い、
後夜祭でキャンプファイアーをやるには消防署と警察署に届けでが必要、
それに使う材木は西武鉄道にお願いしにいく、
消火器とバケツの用意と、事前の消防訓練、
開催当日の周辺住人への迷惑を考慮して、1ヶ月間かけて家々にご挨拶、
パンフレットを作るのに、地元の店に広告を出してもらう、
有名人を呼ぶために三遊亭円楽師匠に電話する、
円楽師匠の控え室に用意しなければならないお茶菓子と調べる、
ポスターを貼ってくれる家、店を自力で探す、
当日の暴走族対策を警察に相談、
雨天だった場合の対応方法、
遺失物、拾得物の対応を決め、警察へ報告、
学生同士の喧嘩対応の方法と警察への報告、
野外ステージに出演するバンドの予選、決勝の選考会の実施、
全27クラスの出し物に関する計画と予算のまとめ、
その準備のサポート、
当日のゴミ収集と清掃計画、
全校生徒に対してのテーマソングのトレーニング(笑)
全校生徒に対しての「おもてなし教育」、

、、、思い出せないことが多いが、
およそ現在の仕事の原型がありました。

これらを先輩たちの力を借りて、約10ヶ月かけて準備していくわけです。
もう毎日のように、進捗状況と予算を先輩に確認されます。
(たいていは怒られます)

そして、途中では
仲間割れ、派閥、予算不足、罪の擦り合い、先輩の雷、近所からのクレーム、
メンバーの父兄からのクレーム、メンバーの離脱、、、などなど、
たっぷりと味わえました(笑)。

その分、当日は相当感激します。

ただし、不思議と当日のことは覚えてません。
準備期間をよく覚えてます。

文化祭が終了すると、そのまま次の業務が待ってます。
それを終えるまでは委員長の仕事は終わらないのです。

それは「次の委員長を選出すること」なのです。
そして、選挙受かるようにバックアップして、
次の委員長が選ばれたら、10ヶ月間フォローすることが義務付けられているわけです。

今にして思えば、何と凄い仕組みなのか!と。

そして、翌年の文化祭が無事に終わるとようやく「お疲れ様でした!」ということになります。
後輩を育てて終了です。

生徒会も体育祭も、似たような仕組みで運営されていたように思います。

他にも委員会やクラブ活動などがガンガン運営されていて、
「人、こと、もの、予算」と仕事の原型みたいなことを経験できる学校でした。

もうすぐ開校100周年と聞きました。
これからも、こうした仕組と機会を大事に続けて欲しいものです。

===

当時お世話になりました、漢文の本多啓二先生が昨年10月にお亡くなりになられたと知りました。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
(2000年以降は、中国長春の大学で日本語を指導されていたと聞きました)







お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2010/03/21 04:09:31 AM
コメント(33) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.