カテゴリ:社会
6月20日 くもり
まあタイトルは真面目そうですが、中身は違うというパターンです。 この話を本気でしようと思うと、 多分社会に本当に属しているのか?・・・という、 かなり基本的な部分から議論しないといけないので。 本当はこういうことにも もっと活用の方向として力を注ぐべきなんですけど、 こういうのが一発で出てこないということがある意味問題です。 今期とか当期の成立法案一覧とかね。 (誰か早くまとめるべきです。) 本当は色々成立してるらしいんですが、 大体いつの間にか出来ている、始まっている ・・・みたいなことが圧倒的に多いです。 タイトルと絡めて言うと、 統制と統治、繁栄と不自由辺りですが、 どうも、かなり統制の方に力が入っているようで、 やむを得ないという世論を形成しようとしていることが 余りにあからさまな気がします。 ・・・そうして本質的な問題の議論を避けるという、 もし民主主義が教科書通りのものでかつ優れた政治システムだというなら、 およそ逆行気味と感じざるを得ない昨今の流れかもしれません。 (私は民主主義が本質的に優れているとは思っていません。 ・・・いわゆるマシであるというものですね。) 十歩譲って? 財政難だとして、そこに至ったのはハッキリ言えば 政治や政府・行政のミスであり、その補填の為の増税の議論を ほぼ極一部の集団で行う(決定する)というのは、 まあ褒められるものではないでしょう。 あるいは一部の利益を 法的なレベルで強固に保護しようというのは考えによっては行き過ぎであり、 柔軟に議論すべきものを目先の利益や聞こえの良さでまったく封じてしまう。 近現代の歴史を一日に例えれば、 朝が来て扉を開き、そのまま夜も開けっぱなしにしようとしている ・・・という感じでしょうか。 鍵を掛けるかどうかはともかく、普通扉、門は閉めるものです。 財政難、2~3の方法で解決する術はあるにも関わらずそれをしない。 本当に出来ないのか、しないのか? いずれにしても楽でないならその選択は有り得ていいと思いますが、 あくまで最後の手段なのか、統制と防衛の都合なのか、国家の目的、方向と あるならそう(こう)ならざるを得ない脅威を知らせるべきですね。 統治者なら・・・ですが。 財政難なら増税なの?・・・でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.06.20 21:41:07
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