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「よし!今日は何でも好きなだけ食べてもいいぞ」
「財布の心配なんかせずにな!」 わたしはこんなことを「豪語」できる人間になりたい。 それぐらいの懐の深さを持ち合わせた人間になりたい。 しかし、この言葉は使い場所を間違えてはいけない。 わたしが大学1年生のころ、バイトもあまりせず、 貧乏な暮らしをしていた。 そんな私の唯一の楽しみが、吉野家の牛丼。 1週間に1度のご馳走であった。 (それ以外は納豆ご飯・お茶漬け・友人のおごりのご飯で食いつなぐ) その日も、週に一度のカロリー摂取日、 いつものようにわくわくしながら、 オレンジ色に輝く「吉野家」へと入っていった。 わたしは基本的には小心者なので、 1人でテーブル席に座る度胸はない。 したがって、いつものようにカウンターへすわり、 言いなれたセリフを口にした。 「並を1つ。つゆだくで。あ、あと生卵1つ」 瞬く間に用意される「並1杯(つゆだく)と生卵」 そして、2分もかからぬうちにわたしの目の前に運ばれてくる。 内心「ついにキター」と思いつつも、 冷静を装いつつ、箸をすすめようとしたとき、 1組の家族連れが吉野家へご来店。 ワイワイ、キャーキャーいいながら入ってくるもんだから、 「ここは家族が来るところではないぞ、コラ」 「オレみたいな1匹狼が集う荒野だ」 なんて思いつつも、 大人のわたしは平静を装い、 牛肉:ご飯を1:2の「黄金バランス」で口へ運ぼうとしていたその矢先、 家族連れの父親の口から上記のセリフが。 「よし!今日は何でも好きなだけ食べてもいいぞ」 それを聴いた瞬間、店内が一瞬にして凍りついた。 少なくとも、わたしの箸はぴたりととまった。 そして、私の心の中に言い知れぬ思いが充満してくるのであった。 一家そろっての食事。 父親の威厳を保つかのように豪語する父。 それを待ってましたといわんばかりに受け止める子どもたち。 そして自分の好きなものを連呼する子ども。 これだけ見れば、こんなに幸せな家族はめったにいない。 わたしの家庭では1度たりともなかった。 「うらやましさ」を通り越して、なにか「ねたみ」すら感じてしまう。 わたしもこんな家族の一員だったらなぁ。 だが、 だがしかし、 ココは、泣く子も黙る、独り者の巣窟「吉野家」。 ココは、そのセリフが世界一似合わない場所だ。 普通なら、家族の美談として後世まで語り継がれるような行為も、 ココ「吉野家」では、不憫な行為でしかない。 もう、哀れむほかしょうがない。 わたしはこの父親の言葉を聴いた瞬間から、 こんな場末の食堂である「吉野家」での、 ある意味かわいそうな家族の姿を見ながらでは、 ご飯がのどを通らなくなった。 苦心して黄金バランスに整えた箸の上のご飯も、 並盛のどんぶりの中へ返すほかなかった。 そしてわたしは店を去るのであった。 「坊やたち。世の中にはもっとおいしいものがたくさんあるからね」 「そういうご馳走が食べられるような大人になるんだよ」 そう、心の中でつぶやきながら。 こんな悲しい話を、 「アメリカ産牛肉輸入再開、店頭へ」 というニュースを聞いてふと思い出した深夜12時。 では、おやすみなさい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年08月10日 00時38分32秒
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