今年亡くなった伯父さんはととさんの兄なので、本当は喪中のはずなんじゃ…?
でも出すんだそうです年賀状。
商売の為という訳でもなく、今まで兄弟が亡くなって喪中なんてした事無い、と。
あれぇ、兄弟は喪中範囲に入らなかった?
と調べてみたところ、
忌中、喪中の期間 …便利な表があるもんだ~
…って、これ、明治7年に出された太政官布告とやらに基づくものだそうですわ。
今はそういう法令も無く(S.22廃止)、ただ文化的な慣習となっているのですが。
でも、人はその昔から死んでいるのだから、ここから始まった事じゃあるまいよと調べてみると、
忌中、喪中のいわれ
もっとあちこち見てみると、忌中の方は死を穢れとしてみる神道の方から。
喪中は儒教の方の影響があって出来たものなのかもとか思いました。
ひらったく言えばこんな感じか?
忌中は 「ウチは穢れ事があったんで、人にそれをうつさない為にひっこんでます」
喪中は 「まだまだ悲しんでやらんと孝の道がなりたたん最中なんですよ~」
…ああ、それで父母・養父母、祖父母の喪が長くて子供に対する喪は短いのね。
妻・嫡子・兄弟姉妹・おじおば…これが皆同じで忌日数20日、服喪数90日。
特筆すべきは妻の父母…忌・喪ともにナシ!!
いやぁ…時代を反映しているな~
はぁ~、由緒正しい伝統なのねと見るか、
はぁ~、かび臭、時代錯誤…やってられないわ、ととるかは人それぞれですね。 (^-^)
慣習になって60年以上も経っていれば曖昧になるのもうなずける…
ルーちはこの文化、ルーちなりに解釈してやっていきます。
時代も伝統も、何が大切かも変わっていきますものね。
今はペットの喪中欠礼というのもあるそうですから。
一人で生きている訳じゃなく、いろいろな考えの渦巻く社会の中で生きている訳だし。
文化ってその民族の生きて作ってきた、そして今も作り続ける空気のようなものだし。
ルーちはクリスチャンですが、正月は喪中にします。
大切な伯父さんが亡くなって、まだこのほんのり悲しい気持ちを捨てるには忍びなくて。
年が明けたくらいで「おめでとう!」と言うメデタイ気分にはなれなくて。
…人の誕生日とかはおめでとうと言っちゃうかな。
だって向こうがおめでたいのだものね。
クリスマスは祝うな、やっぱ。
これは自分が悲しみのどん底でも…いえ、どん底ならどん底な程、祝わないと。
それがルーちの世界の根底だもの。
ポチッとな ( ^ー°)b