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親戚一同で60名を越す大家族。
自営業でもあったため、会社関係者を含め大勢の方が通夜・葬儀と参列してくださいました。 主人の母も遠方よりかけつけてくださいました。 私は祖母からみて20番目の孫。確か20年くらい前だったと思うけれど、「20番目でちょうどキリがいいし、あんたに弔辞を読んでもらうかね。」と言われたこともありました。まさかそれで本当に私が言うことになるとも思わなかったけれど、精一杯の文章を書きました。 従姉妹のお姉ちゃんに文章チェックしてもらったりして最後の最後までやっぱり緊張しました。 久し振りに親戚が集まって懐かしい雰囲気やおばあちゃんの楽しい想い出話で盛り上がったりしていたけれど、出棺のときにはみんな涙いっぱいでした。 静岡がかわっているようで、葬儀の前に出棺があり、荼毘に付されてから葬儀となります。 長い間おばあちゃんと一緒に住んでいた従姉妹のお姉ちゃんが祖母の棺に花を添えていたときの涙が私もたまらなく悲しかったです。いつもおばあちゃんの家に行くといいつつそのお姉ちゃんとおにいちゃんに遊んでもらえることがまた楽しみだったのでどうしてもおばあちゃんと内孫だったおにいちゃんおねえちゃんたちとの思い出がだぶるのです。 たくさんのお花にかこまれ、出棺となりました。 何せ孫は20人以上の大家族。最後のお別れも大人数でした。 そして火葬場へ。 お骨あげのときには弟と一緒にさせてもらったのですが、迷わず一番大きなお骨を狙う弟…。 笑っちゃいけない場所なのに、なぜか弟の性格が…。もちろん笑いはしませんでしたけどw 出棺のときにいっぱい涙が出たので、弔辞のときには落ち着いて読めるかなと思ったのですが、やっぱりダメでしたね…。 「お別れのことば」…と言い始めてすぐ、涙がぶわーっと出てきてしまい、何が書いてあるんだか読めなくなってしまいました。後ろで叔父や叔母たちのすすり泣く声が聞こえるとさらに…。祖母は長男である叔父と最後に入院するまでずーっと一緒でした。70を過ぎた頃の叔父が祖母を車椅子に乗せて散歩に出かける姿を何度か見かけたことがあったのでその映像がふわっと戻ってきました。 おばあちゃんに一番言いたかったことはちゃんと言えました。 お父さんたちを生んでくれてありがとう。私は優しいおばあちゃん、おじさんおばさん、従姉妹のおにいちゃんおねえちゃんたちに囲まれて本当に幸せに育ってきたこと、○○家に生まれて本当に感謝していることを話しました。 きっと100年後には私もまたおばあちゃんのそばにいるでしょう。 いつかまたみんなで楽しく過ごすのでしょう。 葬儀が終わり、七日の払いが終わり、そのまま主人の母と関西へ戻るはずでしたが、車のキーが翌日届くことになっているので申し訳なくも母を静岡駅で見送り私はもう1泊。 弔辞の一夜漬けで寝てなかったので、この日はゆっくり休ませていただきました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 8, 2007 12:16:32 AM
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