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随分とブログを放置しっぱなしでした。
ごめんなさい。 少しずつ心の整理がついてきたので、書き始めようと思いますが悲しいお話です。 私は小学生2年生の頃から母方の祖父母と一緒の家に暮らし、4年生の頃今の実家が新しく建てられてからというもの、2世帯住宅でおじいちゃんとおばあちゃんと一緒でした。 母方は私と弟だけが孫になるので、おじいちゃんとおばあちゃんの愛情を二人占めにしていました。 初孫だった私は、それはそれはかわいがってもらい、おじいちゃんは仕事のついでにといいながら、当時離れた場所に住んでいた私に会いに来てはそのまま家につれて帰ってしまい(笑)、おばあちゃんに 「ま~た、連れてきた」 って笑われていたそうです。たぶんきっと私もおじいちゃんが大好きだったから、ついて行っちゃったんだろうなと思います。 竹とんぼを作ってくれたり、一緒にぼうずめくりをしてくれたり、とにかくおじいちゃんに遊んでもらった想い出がいーっぱいあります。 昔からずっとおじいちゃんおばあちゃんに怒られたことなんてなかった気がする。 いつでもおじいちゃんとおばあちゃんは私の味方でいてくれました。 とっても大好きでした。 11年前、祖母が突然亡くなりました。 脳内出血でした。 当時は突然のことで悲しくてたまりませんでしたが、今はおばあちゃんは幸せな亡くなり方だったかもしれないと思えるようになりました。 きっと痛いと思ったときもあったと思うけれど、もっと私たちが早く気づいてあげたら…と後悔したこともあったけれど、先月おじいちゃんを見送ってから、おばあちゃんにはもうちょっと長生きしてもらいたかったけれど、あれでよかったんだと思えるようになりました。 この日、いつものように編物教室へ行く途中、母と携帯電話で話をしていました。 ホワイトプランで話したい放題なので、母も自宅の電話が鳴ったから…と私の電話もそのままにして電話をとりました。 叔父からの母への電話でした。 おじいちゃんの容態が急変したので今から会社を出て病院に行く、とのことでした。 おじいちゃんは足の怪我で入院をしていたので、容態急変と言われてもピンと来ませんでした。何が起こったの?と思うけれど、それ以上の情報はなく、母がまた連絡をくれると言ったのでそのまま編物教室へ向かいました。 なんとなく不思議な時間が流れました。 おじいちゃんは2月2日に退院が決まっていて、この日の翌日1月26日は一時外泊ということで母と叔父がおじいちゃんのベッドを新しく借りて準備していたのでした。 一刻も早く帰ろうかとも思ったのですが、亡くなるとは思いたくも想像したくもなかったし、2月の3連休に帰ることになっていたので、もうすぐ仕上がるおじいちゃんのために編んだベストを早く仕上げてしまおうと編物教室でそのままお昼までいました。 お昼ご飯を食べ終わった頃、母から電話がありました。 『会いたい人がいたら呼んでください。』 とのことでした。頭が真っ白になりました。 編物教室はそこで終えて、途中で帰らせてもらったのですが、そのあたりから私の記憶はとぎれとぎれになっているような気がします。 主人にも知らせ、とりあえず犬も置いていっていいから静岡に早く帰れと言ってもらったのですが、新幹線が早いと思っても1時間に1本。 ちょうどいい新幹線がありません。 喪服も悩みましたが、持って行きたくはありませんでした。 主人があとでわかるように部屋にかけておきました。 うららと茶々はおいていくつもりでしたが、1時間時間があったので、後のことも考えたらとりあえず1匹だけでもつれて帰ったほうがいいだろうなと思い、支度も間に合ったので、うららを連れて行くことにしました。 あとで主人も新幹線で来るということになった場合、おでかけカートは壊れてるし、仲悪い2匹を1人でつれてくるのは大変ですから 静岡がとても遠く感じました。 うららは今回1度だけ車掌さんに吠えちゃいましたが、あとはおとなしーく座席に座ってる私のひざの上におりました。久々のペットハンモックでしたが、出たがってはぁはぁしてました(笑)。水あげたいと思ったけれど、出すわけにも行かなかったし…。 降りるときには周りの方に「おりこうな子ですね、おとなしいですね。」とか「うちの子供よりおとなしいw」って褒めてもらいました。 信じられないでしょ!? 前日、京都は雪が降っていました。 この日もまだ雪が残っていました。 おじいちゃんは昨年末からずっと入院してたから寒い想いはしなかったろうと思いますが、とにかく寒がりで夏も結構着込んでいたおじいちゃんを思い出しました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
February 18, 2008 10:07:37 PM
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