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18歳のときに出逢って25年になる友達が他界した。
飲み会の席では盛り上げ上手、大学時代はグループで北海道と沖縄を旅行した。結婚してもお互いに母となっても付き合いは続き、東京での母子暮らしでは、花見だ、紅葉狩りだと集まることが、どれだけ楽しかったか、、、。 命あるものには必ず命の終わりもあると知っていても、もうしばらくいてほしかった。もっと何かできなかったのかという思いが残る。 闘病が始まってからは、以前より連絡をとるようになり、お互いに同じ医学書を読んだりしてきた。今になって気がついたけれど、、、彼女から「副作用がつらい」「治療がつらい」という言葉をきいたことがない。「確かに吐き気はあるんだけど大丈夫よ。」「手術したけど大丈夫よ。」私は心配しているようで彼女の言葉に安心させられていた。数々の闘病記にあるように、本当は副作用やつらいこともあったに違いない。 今日、パートから帰宅すると、息子が鼻をすすっていた。もう会えないのがつらいんだって。毎日のように泣いている息子。このブログにも書いたけど、息子が4歳のときに、彼女の家族が千葉県の広葉樹の森がひろがるキャンプ場に連れて行ってくれた。鍋パーティ楽しかった。息子の心にも彼女の存在が確かにある。 息子をなぐさめて、家にいるときは周りに気をつかうことないんだから、泣いて、、、息子は今日私の手作り餃子が食べたいんだって。子供に甘えてもらえて、それに応えることのできる喜び。涙の間に、日々の生活を送ることのできる喜びがあります。 友達に心配されるのを好まなかった彼女が機嫌を悪くしないように、少しずつでも気持ちを立て直していきたいです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.07.06 10:53:50
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