カテゴリ:表沙汰
アレイスター・クロウリーの一番大事な書は『法の書』らしく、また『法の書』の中で一番大事なことは「汝の意志することを行え、それが法の全てとなろう」らしい。メイベル・コリンズの神智学的小説の『蓮華の書』でもこの世で最も大事なことの3事項のひとつが「あなた自身があなたの世界の立法者である」的なことが書かれていたと思う。残り2つは忘れてしまった。
占星術で2室が強烈すぎる人なんかを見る機会があると、どうしても自分の重心のひとつも2室であることから、クロウリーやメイベル・コリンズのこれらの言葉が浮かんできてしまう。 他人はあなたの所持物につんであーだこーだ言うだろう。あなたの本質を他人は見抜けないからその人のあなたより貧弱な語彙力や想像力のなかにあなたを納めてしまうため、あなたが何を持って居るのか、全く正確に理解できない。でも自分だけが唯一、自分の語彙力と想像力で自分を定義することができるから、自分が何を持って居るのか、正確に把握できるのである。 そのとき、はじめて「私はどう生きるのか」、自分の所持物である生まれ持って与えられた才能(=2室)をもってどう生きるのか、を考え、そのとき「あなた自身があなたの世界の立法者」となる。 エリファス・レヴィやその後継者となる近代思想家たちにも、同じようなことを言って居るところは、探せばいくらでもあるかもしれない。近代魔術の最も根底となるのがこの思想だからだ。 それら全てに共通する興味は、ショーペンハウアーの代表的著作の名を借りれば、世界が『意志と表象としての世界(Die Welt als Wille und Vorstellung)』であるかどうかだ。 このなかで「表象(Vorstellung)」という語の翻訳がある意味では面倒なことで、ドイツ語のVorstellungは「想像」が一番ふつうな訳語である。表象というと表象文化論みたいなのとつながってしまうが、美術史みたいな意味がある表象文化論の「表象」とこれとは全然違うと言っていいだろう。 つまり「世界(Welt)」と「意志(Wille)」と「想像(Vorstellung)」はどのように関係性を持って居るのか、それはそのショーペンハウアーの思想的根源である「近代ヨーロッパの受容したインド思想」から派生する全ての思想が持って居る興味である。 「近代ヨーロッパの受容したインド思想」が与えた影響には計り知れないものがある。ショーペンハウアーだけでなくゲーテもヘルダーもグリム兄弟もシュレーゲルもニーチェもシュタイナーもフロイトもユングもハイデガーも、1700年代後半から第二次世界大戦前くらいまでの代表的思想家たちにおいて「近代ヨーロッパの受容したインド思想」を抜きしてに話すべき者はほとんどいないだろう。 そしてそれは哲学者たちにも影響を与えたし、哲学者と紙一重のところにいる神秘学者、神秘主義者たちにはもっと大きな影響を与えた。「東洋の神秘」がなければいまのスピリチュアリスムはないだろう。 それで、肝心なのはやはり過去の歴史ではなく私たちの生きる世界の現象がいかなるものかである。 私たちには想像と意志の能力があるのだが、それが世界にどれくらい影響を及ぼせるかが問題である。世界は私たちに想像していなかった新しい経験を常にもたらすが、それはつまり自分の中の意志と想像を超えたものが存在しているということになる。世界が自分の意志と想像の範疇にあるならば、自分にとって予想できない事象はやってこないからである。 それに対して近代魔術は世界を自分の意志の想像の範疇に収めようとする努力である。自分の望む事柄を世界から受け取りたいという術である。占星術も少なからずそのような側面がある。星の動きを観測して未来を予想する。その上では自分の意志に反する星の配置もあるが、前もって知ることで想像の範疇には収めようとする努力である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019.03.18 13:40:34
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