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2019.03.27
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カテゴリ:表沙汰


大学生だった頃も、もう10年前。2011年はかなりの就職氷河期だった気がしたが、もし自分が大学を卒業してから、働いてきたとしたら…。それでも、何かこう、衝動のようなものがでてきていたかもしれない。死ぬまでに、何か結論が欲しいと思っている。それは「高すぎる目標」かもしれない。
 普通に働いて生きていて、学び、思考する時間をとれないと、「人生に関する結論」が見出せないかもしれない。そう思って、「人生に関する結論」がでなければ、死んでも死にきれないから、働くのは後回しか、それを考えていけるレベルの仕事を…と。

 でも、そんなことを考えるような、時間の余裕がある仕事だけでは、ひとりで生活してやっていけない。ともかく、10年たった、けれども結論はでない。そして今の仕事では、ひとりで生活してやっていけない。思考と学びを通して人生に関する何か結論、指針、みたいなものを発見したい、という衝動は抑えられない。それは思考したいという名の怠惰かもしれない。普通に生きて、結論がでる気がしないのも、怠惰の理由づけかもしれない。

 実に色々学ぶ機会があって、長く大学に居て、普通に生きて居ては一生知ることができない概念と経験をたくさんした。そこから、たくさんのことを考えた。けれども、それは学んだ、そして考えただけであって、何か結論には達して居ない。結論が欲しい。でもそれは思考によってでも学びによってでも得られないなら、どこからくるのか?天使が分け与えてくれるのを、待っているしかできないのか?

 10年前のメディアが、あまりにもついこの間のもののようだ。10年前になかったものは確かにたくさんあるから、世界は変わったが、根本的には何も変わって居ないようにすら思えてしまう。もっと核心に近づいているかと思った。人生の残り時間で、自分は自分の人生に満足できるのだろうか?それが一番の問題だ。





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最終更新日  2019.03.27 22:35:14
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