338474 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X
2019.04.05
XML
カテゴリ:表沙汰
この世は「弱肉強食」なのか?それは生き方全てに関わってくる命題だ。

 古代ギリシャ人はネメシスという神格を考えた。これはインドのカルマ論と同じで、神々の定めた正義に反することを行ったら、行った人に天罰が降るという考えだ。ネメシスは、その天罰を遂行する者である。

 現代では、理想論としては警察がそれを行う。正義に反する人を、人の手で罰する。古代ギリシャ人においては、人の手では手に負えない暴虐に対し、いつか神々の天罰が下るだろう、と内心思っていた。神々とは今風に考えるならば最も理想的な働きをしてくれる全知全能警察であったのだ。国家の理想でもある。
 これは古代ギリシャ人に限らず、人間の全ての時代全ての地域に必ず見られる思想かもしれない。

 人間は人間のできる範囲でしか報復ができないが、神々は人間含む万物全てを操っているので、人間以上の力で報復ができると思っていたからだ。

 現代でも、宗教に関する人は、異教徒に対して「間違った信仰をしているから、いつか神々の天罰がくだるだろう」と思っている。
 だがこの辺全ても、結局ニーチェのいう「ルサンチマン」であると指摘できる範囲でもある。「神々が死んだ」というのはひとつの解釈にまとめられない言葉かもしれないが、人々の間で「ネメシス」は死んだかもしれない。

 もしこの世は弱肉強食だと言うならば、ネメシスは働いていないからだ。
 おおよそ万国共通で神々の法は人間の善意と親切心に基づいている。ここは意外と万国共通に思える。善とは少なくとも多数の人間の平均的な「理想的状態」だからだ。
 その善に反するならばネメシスが働くわけだが、例えば強く豊かなものが弱く貧しい者から搾取したとして、何の報復もない、何も悪いことはおきない、というのが「弱肉強食」なのだ。

 この世にはネメシスがいるかどうかがこの世は「弱肉強食」であるかを分ける。

 ところで他者に対して親切にするということは、いわば弱肉強食の真逆の行為である。この「親切にする」という行為の意味を考えるには、まず人間の輪廻転生の有無がかなり関わってくる。

 というのも、「親切にする」見返りは同じくネメシスの有無に関わっているからである。ネメシスは悪には悪で報いるが、善には善で報いる。ネメシスがいるならば、親切にすると自分も親切にされることになる。

 ただ、人生の経験論的にそういった結論にいたれる人は少ないだろう。人に親切にしたから、良い縁ができた、ということもあるにはあるだろうが、毎回ではない。恩を仇で返されることもあるだろう。そしてそもそも「親切にする」とは何であろう?親切とはとても主観的な考えだ。自分は親切でやったことでも、相手からしたらとても不快なことかもしれない。

 輪廻転生の有無が、いわば「必ずしも親切は親切で帰ってこない」を正当化できる。自分が死んだ後、親切はその誠心誠意さえあれば、相手に何と思われようと報酬が帰ってくるのが、輪廻転生の意義でもある。前世で善行を積んだものが、来世で良い身分に生まれることができるのである。これは全知全能の神々が管理する親切の報酬である。

 ここまでいくと、親切にする理由はわかりやすい。人は見返りがあるなら、それを精一杯やることができる。親切にしないよりも親切にしたほうが利益があがるからだ。親切に疑い得ることのない見返りが必ずあるならば、人は何はともあれ親切をするだろう。
 でも、人は疑うことができるのである。利益を実感できない親切がひとつでもあると、利益=親切の構造は崩れてしまう。
 結局、他者に親切にするにはカントの「定言命法」しかないのだろうか。「無条件に、これはこうである」という考え方である。でも結局そのノリである以上、根拠が得られない。

 イスラムやインドの聖者伝説なんかでは「見返りを期待しない愛・親切」を実践したという聖者が多数存在する。これは定言命法を守っている人でもある。
 利益を考えない時、人に金運がまわってくるならば、人は努力して利益を考えないようにするだろう。そういう意味で、「無償の愛」を考える段階もあるかもしれない。
 あるいはそれは、「繁栄しようが破滅しようが、どうでもいい」という考えかもしれない。ソクラテスのように死後は生前より素晴らしいと肯定的にとらえることで、生前の価値を下げると、より一層そんな気分にはなりやすい。その気持ちは確かに、「がんばって生きて成功しなければ」というのが自殺衝動レベルの重圧になっている人にとっては、生きる理由になれる。

 それにしてもまあ、好きなことをやって破滅しても、嫌いなことばかりやって長生きしても、到達点は同じではある。ある意味では、そこに「宇宙的愛」を感じるような気さえすることもある。次に問題になるのがやはり「自殺はよくないのか」なのだが、これがもう子供の頃以来何十年かけても結論がでない。

 世界が生まれた目的に対して科学は何か答えを出してはくれない。素材は用意した、捉え方はみなさんお好きに、というのが科学でもある。
 神秘主義や宗教だけが、世界の目的に関する仮説を唱える。もちろん死ぬそのときまで、死が何なのかわからないように、すべて仮説ではある。ただ、仮説も何もなかったら、考えることすらできない。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2019.04.05 17:23:57
コメント(0) | コメントを書く


PR

サイド自由欄

設定されていません。

© Rakuten Group, Inc.
X