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2019.05.07
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カテゴリ:表沙汰
理性、遺伝子、感情。自我というものは、その三つにひとまず帰結できるだろう。よりオカルト科学みたいなのを用いるならば、そこに「過去生の霊的作用」とか「ハイヤーセルフあるいはソクラテスの言うダイモーン」が入ってくるかもしれない。
 理性は大脳であり、遺伝子はあまねく染色体、感情は…もしかして腸とかが司っているのだろうか。もっとスピリチュアルな領域は松果体との関連も言われる。

 自我というのはこの三つの三権分立である。理性的に考えて正しいこと、「種の保存」の本能というリビドー的行為に即して正しいこと、感情的に考えて正しいこと。それらがお互い正しいと言ったり正しくないと食ってかかってきたりする。理性ではわかっていても、リビドーや感情は納得しなかったり、リビドーや感情で正しい行為も、理性では人倫・良識的に否定されたりする。

「種の保存」と感情は似たようなものだろうか。しかし司る器官が違うなら、全ての細胞のベースが染色体であってそれをもとに腸や大脳ができているにしても、基礎とその発展とは別のものだろう。

 人は自分に価値がないと思い込んだ時、自殺を決意する。場合によっては、それは遺伝子のなせるわざかもしれない。人間は個別としても人間だが、一応種族としても人間である。人間全体を司っている「人間本体」である集合的遺伝子は、個々人の幸福とういよりも種の存続・発展・繁栄を望んでいるとしたら、人間全体に良い影響を与えない個体には死を選ばせるような本能をプログラムしているかもしれない。

 しかし、あくまでもそのプログラムは主観的な判断に基づいて行われている。人同士が殺しあうのも、「あいつは価値がない、あるいはもっと悪い影響を持っている。」と判断したとき、簡単に相手を殺す動機ができてしまう。宗教や民族にまつわる戦争はそれに基づいて起きている。リビドーや感情が相手に殺意を生むとして、その根底には、「私に対してひどい扱いをした、あの相手には価値がない。」という判断で殺意が生まれているのかもしれない。
 ある意味では、生命全体にもしかして価値のないものを淘汰するようなプログラムが働いているとして、でもその割にその淘汰を判断する基準は実にあいまいである。

 このような考え方はスピ系の死生観とも関連がある。人は死後何になるか。夢を見ていない眠り状態のような無が死後であるというのは唯物論の考え方の到達点だろう。しかしそれ以外の考え方では、死後「すべて」になるというものがある。死後「私」だったものが、「私を見る側になる」、すなわち生前「私」だったのがそこから死後「世界」になる。ユダヤ神秘主義風の考え方だが、スピ系はだいたいそのように死後に何らかの存在を見る。

 いわば、死後「世界」になる、というのは、その「人間本体」である遺伝子の思考、プログラムした側になるともとれる。遺伝子はいわば運命を司る神のように、人間全体にプログラムを埋め込み、その反応をみている。何のために?ここでソクラテスの哲学を実に思い浮かべることができる。

 ソクラテスによれば、そういった「洞窟の比喩」で示されたような、形而上学的超越論にある存在は、「善のイデア」と呼ばれていた。すなわち、人間の遺伝子のプログラムは、「アレーテイア:善なるもの」へと向かうように仕組まれている。
(そういえばアサシンクリードオデッセイでアトランティスで出会うあのプログラムは、アレシアという名で、古典ギリシャ語読みをすれば、アレーテイアだ。)
 人間の歴史は、善なるものへと向かう道程である、というと、ヘーゲルを思い出す。シュタイナーによれば、ヘーゲルのその前進史観は、西洋の伝統的秘密結社の哲学だとも言う。とはいえ、哲学の歴史が常に「プラトンへの膨大な注釈」であるならば、もともとプラトンやピュタゴラスなんかが西洋の伝統的秘密結社の根源的哲学と共有するものがあるのだから、哲学を学んでいるということ自体が西洋の伝統的秘密結社の哲学を学んでいるということと一緒にはなる。

 ともあれ、遺伝子は果たして「善」へ向かっているのだろうか。遺伝子の思考は、「価値のないものを淘汰する」にあり、それ自体は上昇志向かもしれないが、それは超個人的で非倫理的で非良識的な思考とも結びつく。とても価値のある人を、価値がないと思い込んで迫害し、殺す可能性がある。そのとき、もはや人類全体の発展に寄与しているとは言えない。

 神学のそれらに対する必殺の語句は「悪魔も含めて、すべて、人間のためにある」ということである。シュタイナーやそこに結びつくすべての哲学史は、「人間の発展のためには障害が必要である」ことから「天使の一部は、自ら悪魔へと志願し、人間を発展させるために、邪魔をしている」ような考え方にもたどり着く。シュタイナーは「悪とは、居場所を間違えた善である」とも言っていた。(神殿伝説と黄金伝説)





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最終更新日  2019.05.07 11:55:26
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