カテゴリ:表沙汰
もしもこの世を霊的に見ようと思えば、まずはそう見える。唯物論者をベースとして、出来事の意味に霊の要素を加えればいいだけ。認識は偏見であり、宗教でもある。
唯物論という偏見で世界を見ればそうなるし、霊的な偏見で世界を見ればそうなるだろう。唯物論だろうが、霊的世界だろうが、やってこないものがある。「何かがやってきている」と見なすこともできるし、「何もやってきていない」とみなすこともできる。 何かが来る年だとみなしてはいたが、とにかく人生にむかついてばかりである。人生は、一体私に何をして欲しいのだ、と。しかしまだ期待している。まだこの時期は終わっていない。来年一月には私にアポカリプスでもやってくるだろうか。答えを決めかねていたが、いわば、いやでしょうがない出来事がやってくることではじめて「こっちはいらん!こっちのほうがマシ!」と断言できる、その不甲斐なさ。 人と出会えば、普通に、普段通りに、接するだろう。しかし、私の心の奥は、魑魅魍魎で、思えば毎年この時期はこうだ。夏の暑さにやられ、(冬は冬で冬の寒さにやられ)、そのままお盆がはじまると…。霊が帰ってくる時期だとはいうが、そういう霊的世界の偏見でものを見れば、確かに霊に取り憑かれているかのように、私の心の奥は、うるさすぎる乱戦状態だ。 あくまで、あくまでも、人と出会えば、普通に、普段通りに、接するだろう。仕事があれば、普通にやるだろう。でも心の奥だけは、踏み荒らされている痛みがある。外にはでないが、心と通じているこういうブログだけにはそれが現れる。 エヴァの映画の最後のセリフが「気持ち悪い」だが、自分も世界に対して同じ言葉を何度も感じている。世界からDVを受ければその言葉を吐くが、でもいいものをもらったらきっと全部記憶喪失になって「人生って素晴らしい」なんて思ってしまうんだろうね。終わりよければ全て良し、なんだろうけど、でもDVが過ぎると死んじゃうってことも、本当にわかって欲しいのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019.08.08 23:08:41
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