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2020.01.01
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カテゴリ:表沙汰
学びはそんなに良いものだろうか。学びを欲して、必死に楽しんでたくさん学び続けると、あるときふっと、学ぶことで得られる利益という憧れが消えて、我に返ってしまう。それがたぶん「無知の知」だと思う。憧れが、理解に変わった瞬間だ。そうなるともう学びなんてどうでもよくなります。学びの目的は、学びを捨てることにある。
 憧れを払拭することには大きな意義があります。憧れでなくなることで、対等な存在になれるのだから。学びが憧れである人は、例えば子供に勉強しろとかいい大学行けとか言う。学校で、何を勉強しているか知ってるか?別にそれをしたら幸せになるわけでもないのに、その世界が憧れである以上は、それ以上に考えられないのです。
 
 しかしながら自分においては、学びによって、学びを捨てる「無知の知」を知ったところで、誰か他の人の持っている、大学や勉強への古臭い田舎的なそういう盲目的な価値観には反発してしまう心が、どうしても捨て去るこができないのです。
 般若心経がいうように、この世は全て「空」、すなわち自分で作ったプログラムを、作ったことを自分で忘れて、このプログラムに感情移入することで、現実世界だと思い込んでいる、自作自演にすぎないということは、よくわかります。しかし、「悟った人」がいうように、感情を対象化すること、怒りや痛みを「第三者視点」から見ることで、怒りや痛みを消そうという試みは、どうもうまくいきません。怒りや痛みを「これは何だ?」と感覚的に凝視しても、別に消えてくれません。この世が空だとわかって、それが腑に落ちても、相変わらず、痛みや怒りを私は感じ続けています。
 怒りは確かに、そこに理由がないと知ると、消えてくれるものはあります。合理的でないとわかれば、消えてくれることもあります。何度もなんども、やってくるけど。
 けれども、痛みは、そこに理由がなくても、合理的にはいないほうがよくても、消えてくれないものが厄介です。
 痛みは、恐怖であって、恐怖は、自分の命を生きながらえさせるシステムだと。そこで、自分の命に、すがりつく理由がなくても、痛みは別に消えてくれません。麻酔のような、外的手段を用いなければ、基本、消えてくれません。これもまた、思い込みだと、言えてくれるだろうか。

 




 なつかしかった。





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最終更新日  2020.01.01 22:34:00
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