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2020.05.10
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カテゴリ:表沙汰
私たちが原子や分子の塊であるなら、量子の世界の色々な存在たちが原子や分子をつくっている。そして量子の世界はまるでネットの世界の存在のように「私は思考している、故に私は存在する」ないしは「私は観測している、故に私(と他者は)存在する」が物理法則なのだ。

 原子や分子の集合体である私たちはさらにいえば量子の世界の存在たちの集合体でもある。私たちの体細胞ひとつひとつに量子の世界の物理法則が最も深いところで適応され、そこからはあまりにマクロな視点である私たちの視点からは世界はもっと「重いもの」に見えるかもしれないが、量子の世界の物理法則はまるでバタフライエフェクトみたいによりマクロにまで影響し存在しているはずなのだ。

 私たちが観測したり、思考したり、想像したりできる時点で、私たちの肉体レベルの重い「物理法則」ではなく、量子の世界の物理法則を使用しているような気がしてならない。原子や分子の化学反応が人間の「認知・知覚作用」なのではなくて、というよりそれを含む形になるかもしれないが、その根本である量子の物理法則を適応する、量子の世界の動きを用いることこそが私たちの観測・思考・想像といった能力である気がする。
 量子の世界では空間・時間などの制約がない。それは私たちの観測・思考・想像のあり方と似ている。「想像が現実化する」のには確かに量子から私たちのマクロ世界にまでバタフライエフェクトが浸透するという時間がかかるかもしれない。

 人は皆ホモ・サピエンスだというが、人によって「サピエンス度」みたいなのが違うようにも感じる。勉強ができるとか、偏差値が高いということが「サピエンス」ではない。この観測・思考・想像といった量子の世界の能力を用いる力がサピエンスのような気がする。もちろん、認識力・思考力・想像力の向上のためには知識という経験が必要かもしれない。ただなぜこんなことに気づかないのか、なぜこんなに思考が固定しているのか、と思うような相手がたまにいるから。

 ただここでの「サピエンス」の意味では、動物の直感だってサピエンス的ではある。だが本来はホモサピエンスなんて自分を主張するってこと自体、それが動物を人間と区別したいがために存在している言葉だってことになる。
 そして人間が他の動物と区別したい時におそらく「違い」となるとしたら人々が昔から「理性」とか呼んできたものが違いということになる。

 ただサピエンスが「気づく」すなわちサンスクリットのBudhのような意味だとしたら、「自分を認識する」ことだってサピエンスだが「自分と相手が一体化する」ことだってサピエンスになる。いわゆる「さとり」の領域、または思考状態にあるということは、少なくとも常識にとらわれていたり、共感力や繊細さが弱いということをささないからだ。





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最終更新日  2020.05.10 09:56:17
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