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小さい幸せ見つけ隊v(。・ω・。)ィェィ♪

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2007.02.12
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『命というものは、はかないからこそ、
       尊く、厳かに美しいのだ。by.トーマス・マン』

 

先日、遠い親戚の叔父さんが亡くなり、
この連休に葬儀的なことに参加しました。

「葬儀的」というのも、葬儀はなく、ごく身内のみの
密葬とでも言うのでしょうか?

それこそ、ほとんどお話もしたこと無い方でしたが、
ごく身内と、親戚のみの集まりです。


この故人は、生前ある事情があり家族との縁を断たれていた方なのです。
ですので、亡くなり方も一人でいわゆる「孤独死」でした。


一人暮らしだったために、亡くなって4日目くらいに
新聞配達の方に、発見されたようです。


その後、警察が散々捜索しても家族の居所が掴めずにいて、
本人が何も残さず、心の中だけで家族を思ってたようです。

多分、身内に迷惑をかけたくなかったのでしょう。


やっとのことで、出てきた名前があり、そこから探しあてたと
云う、大変な出来事だったようです。

 


私は、ほとんど想い出がないのですが、なんともやるせない気持ちと
同時に、「家族が暖かく居る」て云うことの幸せを噛締めたのです。


本当に、何事もなく平凡に過ぎて、家族が健康でいること、
自分が健康でなんでもできること、働くこともできること

それらが、どんなに大事で最高の幸せなのかと
改めて痛感しました。


この世の中には、体も不自由な方もたくさんいます。
そのために、働くこと、外を歩くことも、友人と飲んだり笑ったり、
食べたり、遊んだり何かを楽しむことも許されない出来ない


そんな大変な方は、たくさんいるのだと思います。


なのに、ちょっとのつまづきで私たちはついつい、
すぐにへこたれてしまうのです。

なんとも、贅沢な悩みじゃないですか。


家族からも、疎外されて一人で孤独に生きてる方もいます。
そんな人たちはどんなにか「自分の生きてる意味」を
恨んだり、妬んだりするのでしょうか。


誰でも、何かにぶつかる時があります。
それは、きっと自分自身が「変われ!」と云う

メッセージや合図だったりする時があるような気がします。

転換期とも言うのかもしれませんね。

困難にぶつかったときこそ、

今までの自分のあり方や生き方を、そして、周囲の人間を含む関係を見直し、自分自身に向き合うチャンスの時なのでしょう。
 

現在、私達が生きているこの地上には、


★自分よりも、ずっと辛い大変な生きるか死ぬかの瀬戸際の人もいます。

★最大の愛する人を亡くした深い悲しみの人もいます。

★家族から、のけ者にされてる天涯孤独な人もいます。

★大怪我をしたり、或いは大きな病気を抱え、働きたくとも働けない人達もいます。

 

さて、このどれかに自分は属しているのでしょうか?
いいえ、幸運にもどれにも属してはいないのです。


これらの負担もなく、これ以上にも素晴らしい幸せなことを、

きっと沢山、手にしているのです。

こんなに大変な人たちに比べたら、自分の悩みなど、
どんなにか恥ずかしく小さなことかと。。。。


健康で、周囲に愛する人や信頼出来る人や友達がいて、

元気に働ける、動ける、使える頭と健全なる体を持ち合わせている。


コレだけの物を持っていたら、「なんでも出来る」んじゃないでしょうか?

そう、どんなことでも。

 

不幸な亡くなりかたをした親戚の事情を知った時に、
「これは、自分の有難さを知りなさい」と云う

まさに、叔父さんから、天からの声だったような気がしました。


人の死に何回か直面はしていますが、このように寂しい亡くなり方の葬儀は
私としても、初めての体験でとても身につまされました。


さて、この出来事を教訓にして

「太陽に向かって歩ける自分でありたい」

何かにぶつかった時に、出来事を思い起こし、
「こんなことは、まだまだ甘いな」と思い直し、
自分を強く叱咤激励し、

この世の色んな人々の人生を自分の生きる
お勉強にしていくべきなのだと、

 

心より、考えさせられる出来事でした。

 

そんなには、立派な人間にはなれないかもしれません。
しかし、色んな出来事に、

自分だけの気持ちや自分だけが精一杯で大変だとは思い込まずに、


素直に周囲の出来事にも他の人の生き方も
考える・感じていける、気づけるように

そんな風に努力して、少しずつ前に進める強い力をつけるように
していきたいです。


少しずつでも気づいて「今、変りなさい・考えなさい・知りなさい」
叔父さんからの言葉を大切にしたいとそう思いました。

 

寂しく亡くなった叔父さんでしたが、最後には叔父さんの大切な大切な息子に

本当に大事に大事に抱えられて、、、


「父が訪れたことも無い、父を呼ぶことも出来なかった
   
      自分の家をこれから見せに連れて帰ります。」


そう、泣きながら挨拶してくれました。

 

叔父さんは、自分の命を持って、愛する息子に最後に大きな愛情を
「自分の生き方の意味」を贈ったのではないかと

そして、それをしっかりときっと、受け取った息子。
それだけでも「生きてた意味は大きい」のです。


私は、そう思ったら涙が溢れてやみませんでした。


ありがとうございます。。。ちゃん教わり、感じました。

 

どうぞ、どうぞ、ゆっくり安住の故郷にお帰りください。
暖かなぬくもりに満ちた場所で、安心してお休みください。


ご冥福をお祈りいたします。

 

 

・・・・・・・・合掌。

 


PS.死ぬよりも、生きているほうがよっぽど辛いときが何度もある。
それでもなお生きていかねばならないし、また生きる以上は努力しなくてはならない。

by,榎本健一

 

平和への祈り

 






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Last updated  2007.02.12 19:47:10
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