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すっかり暑くなり、熱帯夜のよう。
コリアンの友人の自作演出芝居の公演を見に行く。金曜の夜、50席の小劇場で私を含めて9人の観客。そのうち2人が彼が関係しているパンエイジアン劇団の主催者二人だった。友人に先日みた「ABC」の演出家さんを紹介され、私の芝居を彼の劇団に送ってみなさいと言われる。でも、10年程前に何度か送って蹴られているし、ここの劇団はアジア系アメリカ人の作品が主だから無理だと思う。そう言うと、「アジア系アジア人の作品、コーボー・アベやユキオ・ミシマもやったよ」と言われる。この返事からしてとうてい無理だと分かる。演出家さんはこないだと同じノースリーブのシャツで、丸坊主のせいか、どこかダライラマのようなビルマやチベット系の坊さんに似ていた。 友人の芝居は二週間でずいぶんこなれていた。彼はすごくキッチリとした性格なのだと思う。芝居の最中、ずっと自分で撮ったビデオや写真をプロジェクターを操って背景に映し、音響を指図していた。そのタイミングが決してずれない。こういう人は私のように、仕事の途中で白昼夢を見ることはないのだろうと思う。 前に私の芝居で照明をデザインしてくれた台湾人の女性にも再会した。イエールの演劇大学院にパスしなかったとがっかりしていた。7月にビザが切れるので帰ることになりそうだという。残念だ。コリアンの友人も冬に帰るという。 昨日、検索しているうちに、昔オペレッタの芝居に出た事のある某劇団の歴史サイトを発見した。その中で、当時、ピアニスト兼音楽監督をやっていた人が、何と、ブロードウェイで超人気のミュージカルの音楽監督をやっている事が分かった。当時は25歳、ショパンのように憂いのある紅顔の長髪美青年で(残念ながら女性に関心なし)だったが、今の写真はすっかり小太りの禿げたおじさんになっていた。でも面影は残っている。某劇団が90年頃に破産して以来、ブロードウェイの大きなミュージカルの数々で音楽監督や助監督をやってきたようだ。すごいなあ。当時から、若いながら厳しい監督で、歌詞のディクション(発音)にものすごく厳しく、コーラスの我々を突然一人ずつ指名して歌わせ、発音をチェックされたりして英語が母国語でない私などビクビクものだった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年06月24日 18時31分58秒
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