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ヴォルベール <帰郷>(2006)
監督:ペドロ・アルモドバル 主な出演者:ペネロペ・クルス/カルメン・マウラ/ロラ・ドゥエニャス 公開年:2006 製作国:スペイン ジャンル:ドラマ 物語 失業中の夫と、14歳で生んだティーンエイジの娘を持つライムンダ(ペネロペ・クルス)は、気性は激しいが明るくたくましい女性。故郷のラ・マンチャに住む最愛の伯母が亡くなり、美容師である姉のソーレ(ローラ・ドゥエニャス)の家を訪ねたライムンダは、そこで4年前に村の大火事で死んだ母(カルメン・マウラ)の懐かしい匂いを感じる。 ある日、ライムンダの留守中に夫が娘に性的暴行をしようと試み、娘の持っていたナイフで刺殺される。ライムンダは娘をかばい死体を処理するのだが…。 感想 画面の色、衣装、装飾、すべてがビビッドで奇麗。この役のために20ポンド増やしたというペネロペが、今までになく肉惑的な体、全体に細身なのに胸と尻がバーンと張って(尻パットを入れてたらしい)、腰と足が細くてパツパツの膝上タイトスカート、谷間の丸見えのブラウス、ハイヒール、濃いアイライン、黒いアップの乱れ髪。。。で大人のフェロモンを巻き散らしていた。誰かに似てるな、、、と思ったら、やはり体型といい、顔立ち、化粧、佇まいがソフィア・ローレンにそっくりだった。今のソフィアでなく、50ー60年代、20代でオスカーを取ったころのソフィアだ。若い母と娘が二人でいるところ、気丈な強い目、きっぷが良くて感情のほとばしる様子など「二人の女」を彷彿させる。インタビューなど読んでみると、やはりペネロペはソフィアやアンナ・マニャーニの昔の映画を見て佇まいを学習したとのこと。この映画は空港の清掃係や洗濯女のような最下層のワーキングクラスの女性の話だけに、女優に納得させるような現実味がないと嘘っぽく見えてしまう。その点、少し太めでスペイン土着顔のペネロペはリアルだったと思う。こういうリアルで押しの強い女っぽさは拒食症ぎみのハリウッド女優にはあまり見られない。(ゼタ・ジョーンズは別だが)。ペネロペも30代になり、「可愛い若い女の子役」から「主演をはる大人の女」に移って行く絶好の作品だったのだろう。 脇ででてくるスペインの女優たちもみんな、妙にリアルで土着的でたくましい。ペネロペの妹役、隣人の女性役など、少しも美人ではないが妙に味のある顔だちの女優さんたちで、みんなリアルで上手い。でも一番上手いのは「母親お化け役」のカルメン・マウラだった。 映画としては、ビジュアルも良いし、役者もユニークで上手くて、背景のスペイン風味も満載でペネロペの歌まであって見所は多いのだけど、なにせ脚本に少し無理があった。だから、ペドロ・アルモドバルの過去の作品、息子を失った母親を描いた『オール・アバウト・マイ・マザー』(アカデミー賞外国語映画賞受賞)、「トーク・トゥ・ハー」(アカデミー賞最優秀オリジナル脚本賞を受賞)には及ばなかった。『オール・アバウト・マイ・マザー』など、女性の母から娘にわたる悲劇とたくましさを描いた作品という点では類似しているのだが、男性の描き方(強姦魔、あるいは主人公の賛美者)が二面的でキャラクターにリアルさがなく、薄く感じた。いくらどうしようのない亭主でも、顔色一つ変えずに死体を処理し、何の悔やみもないというのも15年連れ添った相手にしては不自然に感じた。 しかしペドロ・アルモドバルはゲイで有名だが、女性の家族関係を描くことに、なぜここまで魅かれるのだろう? ゲイだから女性の痛みに敏感なのだろうか? 彼がもし女性なら、この映画は「フェミニストの映画」と男性客から反感をもたれないだろうか? 墓場の掃除や葬式の場面など見ても、男と女の世界がまっぷたつに別れているスペイン。男はマッチョで女は美しく、たくましい母になることを推奨されるという、未だにフェミ以前の世界なのだろうか? 南米のヒスパニック世界は完全な「マスチモ(男丈夫、女性を暴力で支配する男性優位の文化)」世界らしいから、その本家であるスペインもそうあっても何の不思議もないが。虐げられた女性たちの反撃の世界は映画の中だけなのだろうか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年01月11日 07時27分13秒
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