273495 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

Things about other countries

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

maasa2004

maasa2004

お気に入りブログ

まだ登録されていません

コメント新着

コメントに書き込みはありません。

フリーページ

2008年03月30日
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類

日本に帰るのはなんと15年ぶりだった。93年以来。この間、97年と2000年に帰る予定を立てたが、土壇場で仕事やらなにやらで延期となり、学生時代の友達や親はこちらに何度か来ることはあっても、自分が戻る事はとうとうなかった。その後、2001年冬、911直後に誤診が元で心身の体調をひどく壊し、数年間、飛行機に長時間乗れなくなったこともあって15年という月日がたってしまった。

これだけ長く故国を離れていると、「日本」という国が形骸化してくるというか、自分にとって日本は、アメリカに来た1986年の夏まで10数年間住んでた東京、そして生まれて18歳までの大阪の原体験で止まっていたように思う。もちろん、渡米から93年までの7年間に3度帰国しているし、日本のレストランで働いたり、こちらに日本人の友達もいて日本語で話しもするし、テレビの日本語放送を見たり、日本語書店で本を立ち読みしたり、日本のニュースはいくらでも知ることができた。ただ95年頃、こちらの学校や活動が忙しくなってからは、どんどん英語の世界にどっぷりで日本の書籍やテレビを見ることもなくなっていたが。日本の国籍だけは放棄せずに、アメリカに帰化することなく持ち続けてきた。

その後90年代末からインターネットを始めて、99年にそこに日本語機能を入れてから、突然日本の現状が文字と画像で伝わってきた。掲示板の書き込みの語調など見ると、中高年の日本語はたいして変わってないようだったが、若い人の顔文字の多用さやユニークな使い方に驚いた。漫画文化先進国の日本ならではだと思った。書き言葉が(つまり話し言葉が)少し変わっていることに気がついたのがその頃だ。「なにげに」「さりげに」という言葉がまず理解できなかった。「なにげなく」「さりげなく」なら分かるが、いつの間に変わったのか。流行語は分からなくて当然、もちろん、1986年以降にデビューした芸能人、特に、1995年以降に有名になった人など、芸能人、作家、文化人、運動選手、政治家も含めて全く誰が誰やら、道であっても分かりようがない。前に書いたことがあるが、92年頃、村上春樹がNY日航ホテルの前を歩いているのを見て、雑誌で見た顔だと思ったが、誰だかすぐに分からなかった。「宮沢りえ」は92年に帰国したときに、テレビで見た。18歳で「サンタフェ」というヌード写真集が出て騒がれていた頃だ。その婚約相手が元大関貴の花の息子だということは雑誌で読んで知っていた。野球の清原、桑田はPL学園の頃は知っていたが、松井秀喜のことなど全く知らなかった。

90年代半ばに日本に帰国した友達に聞いた「日本では誰もが携帯電話を抱えて通話しながら歩いている」という話には驚いた。その頃、こちらでは携帯など高価なもので、持っている人など滅多にいなかった。「日本では金髪が流行っていて、男も女も髪を染めている」という話にも驚いた。「白い肌が流行で、夏でも真っ白の顔の人が多い」、「若い男の子がジャニーズみたいにかわいくなった」「胸の大きい女性が増えた、というか、わざと胸の目立つ服を着ている」、「黒人にあこがれて真っ黒に日焼けして縮れ毛パーマにしている若い男の子がいる」、「オーバーサイズのトレーナーとジーンズで、白いパンツをわざと見せて履いている」、エトセトラ、、。この最後の方は、こちらのサブウェイで生で見た。若い国籍不明の東洋人の男の子たちが数人、ヒップホップ歌手の黒人そっくりのぶかぶかファッション、真っ黒の日焼け顔とチリチリ頭の長髪、野球帽で座席に座っていた。かろうじて、どこかおっかなびっくり腰が引けている態度、ぶかぶかファッションが新品のようで小ぎれいなこと、そして会話から日本人だと分かった。外見だけでも「黒人になりたい」と願う日本の若い人のいることがようやく分かった。

…とにかくNYの仕事相手や友達に、日本に一時帰国することを報告したのが1月末。最初の予定では2月20日から3月5日までの二週間だった。それが2月15日頃に重い風邪をひいた。アパートの隣部屋にいる女性(壁が薄い)がその2週間ほど前から夜な夜なひどい咳をしており、それが遷ったのではないかと思う。鼻水と咳、悪寒で頭は朦朧とし食欲は途絶え、在宅の翻訳の仕事もろくにできない。とりあえず病気が治ってからにしようとベッドに潜り込み、ひたすら眠る日が一週間。ようやく食欲がでてきて咳が弱まったのは3月目前だった。とりあえず3月6日のNY発成田行きチケット往復800ドルを手に入れ、3月20日帰国の予定で旅行日程を組んだ。実家のある大阪に帰る前後に、10年住んだ東京でも数日過ごすことにした。東京での宿はたまたまネットで見つけた外人専用チェーンホテル(日本人可)、池袋駅近くシングル・バストイレ付き6800円というのを見つけて予約した。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2008年03月30日 17時03分31秒



© Rakuten Group, Inc.
X