カテゴリ:カテゴリ未分類
1998年10月、40歳を迎えた年、彼女は大きなバースディパーティを近所のレストランバーでやることを計画していた。私は学校の卒業作品で忙しく、出席できるかどうか不安だったが、彼女は「絶対に来ないと駄目」と断固として譲らなかった。当日は50人以上もの友人が集まり、ラメ入りのミニスカートのドレスの彼女は本当にスターのように華やかで美しく、当時同棲していたギリシャ人のボーイフレンドにエスコートされていた。集まった友人たちはほとんどがアメリカ人で白人女性がほとんどだった。他に日本人やスペイン人も数人いた。その日、初めて生で見た彼女の二歳上の姉という人は、双子のようにそっくりだった。私は末席に座り、最後まで残らずに去ったが、40歳という節目の誕生日をあれほど多くの人々に祝福される彼女は、非常に幸せな人ではないかと思った。その後会ったとき、彼女は「40代の抱負」を、子供はもう産んで育てる気はないが、ともかく結婚はしたいと言っていた。私が自分はアーチストとして生きたい、自分が死んだ後も残るような作品を作りたい、と言うと、「あなたは強いのね」と言った。私の顔が20代のままで老けないというのも繰り返して言われた。一緒に顔を寄せ合って鏡を見たこともあった。
その後、生涯を共に過ごす約束までしていたというギリシャ人のボーイフレンドと別れた頃から、彼女の鬱はどんどんひどくなり、仕事もできなくなってしまったことがあった。当然、クレジットの借金はかさみ、いくらルームメイトがいると言っても、半分の家賃を払うこともままならなくなっていた。1年近くその状態が続いた後、彼女は友人の紹介で広告会社の営業社員としてフルタイムで働き始めた。かなり仕事はハードで西海岸やヨーロッパに出張に行くことも頻繁だった。でも、その頃、久々に安定した彼女を見たような気がする。その頃、彼女は黒人の男性と付き合うようになっていた。彼は売れない役者でもあり、パートでオフィス勤めもしていた。痩せて小柄な彼は、けっして悪い人柄ではなかったが、彼女が結婚するような相手でもなかった。彼女の友人たちは一同に彼を嫌っていた。彼はやがてルームメイトとして彼女のベッドルームに住み始めた。家賃は払ってくれたというから、金銭的にはしっかりしていたらしい。ただし、部屋はいつも散らかっていた。彼女は彼を例によって弟か自分の子供のように世話をし、おだてあげたり、アドバイスを与えては煩がられたりしていた。私が訪ねていくと、彼はたいていテレビに夢中で、ほとんど話をしなかった。私も当時は大学院を出て仕事を始めたばかりで忙しく、彼女に会うことも途絶えがちだった。でもあいかわらず彼女からはメールや電話があり、遊びに来てくれと言ってきた。その頃から、彼女の酒量とタバコの量がどんどん増していったように思う。そのうち、共通の友人から、彼女は彼と別れる別れないでまたもめたという話を聞いた。アパートから彼を追い出したいが、彼が出ていかないと言い、暴力ざたになって警官を呼んだ、そして警官が来た時、二人はベッドで仲良くシーツにくるまって笑いあっていたという。すったもんだのあげく、結局、彼は追い出され、彼女はしばらく彼がストーキングしてくるのではないかと怖れていた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年05月02日 21時24分08秒
|