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「東京で (1)」
翌朝、さすがに疲れていたのか9時になってようやく目が覚め、10時前にホテルを出て新宿の某大学病院に向かう。しかし、「池袋駅からメトロというかつては営団だった地下鉄で飯田橋に出て、そこから都営線に乗り換える」という技が、久々の日本の私にスムーズにできるわけがない。しかもラッシュ時でなくても早朝の駅だ。SUICAとかPASMOとか何が何だか分けがわからない。訳が分からないまま自動販売機にお金を入れて、金額にあったボタンを押し、それから自動改札に切符を入れた。「女性専用車」という話には聞いていたものがあったので、それに乗る。回りは小ぎれいなOLさんのような若い女性ばかり、香水の匂いがした。安心しているのか、立ったまま目をつぶって寝ているような人もいる。それからメトロから都営地下鉄の乗り換えだが、それはもう大変だった。構内を延々と100m以上歩かなければならないのだ。歩くだけでなく、長い長いエスカレーターもある。これはもはや乗り換えというより、地下での競歩やマラソンのようなものではないか。足の悪い人、赤ん坊のいる人、車いすの人には、東京暮らしは難易度が高いと思った。 大学病院に行ったのは、7年前に医療事故ででき、年々目立って拡大してきたこめかみのシミというかアザがレーザー治療できるかどうか皮膚の専門医に聞いてみたかったのだ。しかし土曜の新患受付の11時にわずか5分遅刻してしまい、月曜に予約を入れることになった。それから、別の病院に行こうかとも思ったが、思い直して久々の東京見物をすることにした。土曜日の昼前の東京は新宿区内でも人気が少なく思えた。都営のバス停が目の前にあり、皇居や国会議事堂の方向に行くとあったので時間ピッタリに来たバスに乗ってみた。バスの車掌さんも丁寧で親切だった。バスの乗客は高齢者が多かった。国会議事堂前で降りて、生まれて初めて国会図書館に行く。前から関心のあった幕末の渡米使節の資料を見てみたかったのだ。残念ながらそれは見つからなかったが、関係書籍を見ることはできた。そこでも、幕府特使「村垣淡路守」を「梅垣という人」などとうろ覚えで質問する私を侮蔑することもなく、ひたすら丁寧で親身な係員さんたちの応対に感激した。 そこからタクシーで竹橋に行き、今ではMOMATと呼ばれている東京国立近代美術館に行った(ニューヨーク近代美術館MOMAの真似か)。ここでは昔、美大生だった頃に、常設の明治大正昭和の近代洋画や日本画、彫刻は見たことがあった。ちょうどやっていた企画展の「わたしいまめまいしたわ ー現代美術にみる自己と他者」というのを見る。近代作家の自画像が結構面白かった。写真家・植田正治の家族写真シリーズに惹かれる。 この展覧会の内容は解説によると以下: 「 「他者」とのコミュニケーションのあり方や、わたしたちをとりまく現実を認識するあり方の変化にも目を向けてみましょう。 価値観が多様化し、それがインターネットなどの高度情報技術によって増幅されることで、「わたし」と「他者」との関係は幾重にも複雑なものとなり、そのために「わたし」という存在は、定めがたいものになってきたのかもしれません。しかし、このような混沌とした状況は、わたしたちが改めて「わたし」のあり方を考え直すチャンスでもあります。 そのためには、ものを見ること、認識すること、そこから紡ぎあげた思考を他者に伝えること、そういったひとつひとつの行為を、繰り返し吟味する作業が不可欠です。 そして、これらはまさに今日の美術における重要なテーマとして、多くのアーティストによって探究されてきました。今回の展覧会では、東京国立近代美術館、京都国立近代美術館、国立国際美術館のコレクションを中心として、現代において「わたし」の根拠を問い、「わたし」を取りまく世界を認識し、「他者」との新たな関係を切り拓こうとする作品を集めて、それらを複数の視点からご紹介します。主な出品作家:梅原龍三郎、中村彝、岸田劉生、藤田嗣治、谷中安規(たになか やすのり)、麻生三郎、椎原治、靉光、北脇昇、ウォーカー・エヴァンズ、植田正治、浜口陽三、河原温、他」。 展覧会も面白かったが、ここでもまた、職員の(というか日本人の)丁寧さに驚き、自分の育ちの悪さを体感する。ただ美術館の階段を上がり降りし移動しているだけの私なのに、すれ違う立派な大人の紳士や淑女(おそらく美術館職員)が「ありがとうございます」とか、お辞儀してお礼を言うのだから。なんと答えていいのやら。極限までの丁寧さに狼狽しそうだった。 その後、美術館を出て皇居に行く。時間切れで二重橋方向には入れなかった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年05月25日 09時58分33秒
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