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2008年05月27日
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「東京での一週間(2)」

東京に行ったら、ぜひ日本の芝居が見たいと思っていた。でも何を見るべきか、最近の話題の芝居や新しい劇団のことを知らない私には判断がつかない。ただ予算があまりないので大劇場へ行くのは絶対無理だった。

ネットで調べていたら、前にニューヨークに来たことのある劇団燐光群の、「だるまさんがころんだ」坂手洋二作・演出というのが目についた。笹塚なら新宿から近いし、値段も手が届く範囲だし、行ってみようと決心した。この劇団の公演を実際に見たことはないが、私の好きな社会派の作風なので面白いのではないかと期待したのだ。

さて言ってみると、小さなブラックボックス劇場の客の入りは7-8割というところ。最後列に座ると、隣に演出家さんが座ってきた。見ていると、これは地雷にまつわるエピソードを集めた芝居だった。セットは斜めのスロープのようなものがあるだけで、非常にシンプル。その中で、大勢の役者たちーー地雷を作る仕事をしている父親とその家族、地雷を手に入れようとしているやくざの一家、地雷で体を亡くした女、地雷で家族を失う現地の人、日本の自衛隊の地雷撤去部隊、地雷を持ち帰ろうとするカメラマン、などなどの人々がそれぞれの個別エピソードの中。戦場、 税関、茶の間、学校、ジャングル、組長宅、セントラルパーク、などという異なった背景の元でそれぞれのチャプターを演じて行く。そして時間が移行するとともに、それぞれがそのエピソードの中で微妙に変化していく。中にはリンクしている複数のエピソードやキャラもあったし、税関での爆発シーンのように単独のもあった(これは報道カメラマンでもある某新聞記者の実際の事件を元にしていて緊迫感があった)。舞台はチャプターごとに暗転の連続で、音響と照明が凄く効果的だった。最後はキャスト全員で子供の遊びの「だるまさんがころんだ」を各国語で演じる。

地雷の危険性を訴えるプロパガンダ芝居としてはよくできていると思った。役者も良く訓練されていた。でも芝居として背柱となるプロットが致命的になかった。すべてのエピソードを全部合わさった歯車のようにリンクさせ、最後にクライマックスの大団円にもっていくということはできなかったのだろうか。最後までエピソードがバラバラのままだからドラマとして盛り上がりに欠けるし、エンディングもかなり無理があるように思った。どれだけ社会的に重要なメッセージを盛り込んだ芝居でも、やっぱりドラマとして成立していないと2ー3時間見続けるのは辛い。

しかし、久々に見る日本の芝居はやっぱり台詞回しが新劇調というか、節回しが不自然で声にも体にも力が入っていた。みなさん「お芝居をしている」という顔で、力を込めてお芝居をしていた。

もう一つ、別の日に、二兎社の「歌わせたい男たち」永井愛作、演出というのを新宿紀伊国屋劇場で見た。内容は「卒業式の日の高等学校の保健室を舞台に、音楽の講師を主人公として、国歌(君が代)を式で歌わせようとする教師と反対の教師を描く喜劇」、だった。メインの音楽講師役が声優で有名な戸田恵子だった(実は私はこの人を名古屋の中学生時代からアイドル時代まで見ている)。

うーん、こちらは筋書きにドラマ性があり、テーマも社会派で興味深いかった。全体に細かくジョークもちりばめられ、役者の数は5人と少ないが全員が達者でプロっぽく、エンターテイメントな舞台にはなっていたと思う。ただ惜しいことに、そのプロの役者たちが達者すぎて役柄の持つ現実味がなかった。

戸田恵子が演じる音楽講師は、音大を出てから売れないシャンソン歌手として働き、40の坂を越え、安定した職を求めて公立中学音楽講師となったそうだ。彼女はこの職を逃すとまた元の不安定な暮らしに戻ることになり、それだけは回避したいらしい。しかしピアノの腕が致命的になく、君が代の伴奏もうろ覚えで、さらに式当日の朝にアクシデントでメガネを壊してしまい、楽譜が読めなくなり、絶体絶命のピンチを迎える。

しかし、そのせっぱ詰まった音楽講師の現実味が伝わってこないのだ。話し声がアニメの声優さん特有の透き通ったきれいな声のせいか、40代にしては引き締まったスタイルのきれいな容姿のせいか、この音楽講師の女性には、まだまだ人生の選択余地があるように見えた。君が代を歌うことを拒否する教師にしても、歌ってもらいたい校長にしても、どこかそのこだわり方に現実感がなく、関西で日曜昼に昔やっていたテレビのスタジオコントや舞台中継のように見えるのはなぜだろう。モデルのように長身細身の保健の先生にしても、他の若い男性教師にしても、みんな滑舌が良くて、映画の吹き替えのように台詞をすらすらとテンポ良く話し、ポンポンとテンポ良く台詞のやり取りをする、ジョークもすべてテンポ良く発されていた。台詞回しがスムーズに進みすぎるから、舞台が現実的でなくコントのように見えるのだろうか。テレビのスタジオセットのような立派な学校内の舞台装置もさらにその印象を深くした。

現実生活から生身の泥臭さや汗臭さ、ぎごちなさを取り除き、パーフェクトに盛りつけをしたような、きれいなお菓子の詰め合わせのような舞台。ミュージカルの舞台は日米ともにまさにそういうものだが、ストレートの芝居となると、テレビコントのようでなく、もう少しせっぱ詰まった現実感、予想のつかない破綻、差し迫った共感や痛みを味わいたいと思う。それとも、今の日本の芝居には70ー80年代とは違い、観客も舞台から一歩引いた所から行儀良く鑑賞するののが普通なのだろうか。

実は、この芝居は評判が良いとネットにあったので、おそらくチケットは取れないだろうと諦めていた。7時開演で、5時頃に行くと、すでに当日券を求めて並んでいる人が劇場前から階段に列を成していた。6時になると関係者が出てきて、20人までOKだと言い、私の後ろの人までチケットを入手できたのだった。今の時代、昔のように立ち見とか通路に座らせるなどありえないのだろう。

一つ、やっぱり日本だなと感じたのは、私の前に並んでいた若い女性が、私に大きなカバンを預けてトイレに行ったのだ。見ず知らずの人間をここまで信用できるのが、日本の社会ならではだろう。日本では今でも、一人でレストランや喫茶店に行き、席にカバンを置いたまま、トイレに立つことが可能なのだろうか。






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最終更新日  2008年05月28日 10時46分21秒



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