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「東京での一週間(3)」
ようやく一週間たち、亀戸の皮膚科で無事?に照射を受ける。その後、そこから歩いて亀戸天神に行き、さらに地下鐵で清澄白河まで行って東京都現代美術館(MOT)まで足を伸ばした。木場に近いこんな下町に来るのは初めてだった。美術館は駅から徒歩10分とあったが、かなり遠く感じた。ここの建物も国立新美術館同様にでかかった。オリンピック室内競技場とか武道館みたいだ。常設展と企画展の他に公募展をいくつかやっており、チケットは何にしますか?と受付で聞かれたので、常設展と企画展2つの合計3つをセットで買った。 まず常設店で公開中の、岡本太郎作「明日の神話」という縦5.5M、横30Mの大壁画を見た。70年頃に依頼があって制作、その後長く行方不明だったが、かなりボロボロの状態で近年メキシコで発見され、それを数年をかけて修復したと館内のビデオにあった。岡本太郎は制作当時50歳を超えていたというが凄いエネルギーの持ち主だ。この人については、「痛ましき腕」という若い頃の絵画以外、私の気に入ったものは今までなかったが、今見ると、太陽の塔も含めて、その発想の豊かさと創造力、エネルギーに圧倒される。 他には企画展の「川俣正[通路]展」というのを見た。美術館前のバス停の背後に立ち並ぶ生色のベニヤ板で作られた通路を辿っていき、さらに美術館の中でもベニヤ板が立ち並び、どこもかしこもベニヤベニヤで、動く方向を示す「→」印もない。最初、このベニヤ板の行列は何かの工事中か?とか思ってしまったが、そのうちにそれがこの作家の作品であることが分かった。 こういう作品は、セントラールパークを大布で包んだクリストフのアート同様に、遊び心を持って迷路を楽しむだけの余裕がないと辛い。その日は私は朝からレーザー照射を受けて痛みがあり、歩き疲れてへとへとだったし、まるで余裕も知的好奇心もなかった。それで早々に「川俣正[通路]展」の部屋を出てロビーに戻ると、美術館学芸員さんが私の後を追ってきた。「お客様はまだ「川俣正[通路]展」の上階をご覧になっておりません」と言うのだ。ああ、日本人はやはり凄い親切だ、と思いつつ、時間がないから見られませんと説明した。「通路の合間には制作中のラボあり、ワークショップあり、カフェスペースあり。」とどこかのブログにあったので、私は「川俣正[通路]」のたくさんを見逃したのかもしれない。 それから、若手作家のグループ展「MOTアニュアル2008」を見た。「解きほぐすとき」をテーマに、5人の作家が紹介されていた。概要は以下: 「その時々の時代状況や美術動向を切り取るテーマを設定し、若手作家を中心としたグループ展として毎年開催しています。本年は、「解きほぐすとき」をテーマに、事物をばらばらに解体し、解きほぐすことで自分なりに世界の輪郭を捉えようとする5人の作家を紹介します。私たちの身のまわりには、多くの物や情報があふれています。それらは生活を豊かにする一方、善悪や真偽の判断を難しくし、境界や輪郭をわかりづらくしています。物事の成り立ちや本質を理解しようとする時、目の前にある形をばらばらに解きほぐしてみると、表面上隠されていた構造や裏側が見えてくることがあります。本展でとりあげる5人の作家は、事物のあらましを読み解き、解きほぐすという行為の中で、細分化された断片と向き合い、取捨選択を繰り返すことで、自分なりの価値判断をおこなっています。あたり前と思っていた世界を解きほぐすとき、いつもとほんの少し違う何かが見えてくるかもしれません。} ーー国立新美術館の「アーティスト・ファイル 2008 現代の作家たち」展よりは丁寧に描き込んだもの、創作に手が込んだ作品が多くて面白かった。テーマ通り、織物から縦糸を引き抜いて再構成した作品や、紙くずや木ぎれを構成したようなもの、立体やドローイングがあった。しかし、流木、板、棒、紙くず、ビンのようなものを無数に構成した作品は、自宅に置いてある場合、ゴミとどうやって差別化できるのだろうか。奥さんやお母さんがゴミと間違えて捨ててしまったらどうするのだろう。 MOTに行く途中、深川江戸博物館というのがあって立ち寄った。ここは京都の太秦撮影所にあるような江戸時代の家屋が中に作られてあり、細かい生活道具も揃えてあってとても面白かった。今でも見るような和室があり、長い日本の歴史から見ると、江戸末期なんてほんとについこの間のようなものだと思った。詳細は以下: 「深川江戸資料館は、江戸時代の深川、木場周辺の暮らしを紹介する資料館で 地元の江東区が建設、運営を行っています。館内には深川の町並みを再現した展示室があり ます。展示室には火の見櫓や土蔵、お店、長屋などが再現され、各建物の中 も写真にあるように、当時の暮らしがわかるように作られています。」 話は変わるが、日本で写真を撮るかどうか、予定がないままフィルムの一眼レフは持ってきていた。私の記憶にある東京は、はたして絵になるかどうか不明だったが、駅や電車、街頭の店や人々を撮り始めると結構おもしろかった。日本の都会はとにかく店も駅内も、電車の車体さえ、けばけばしい無秩序な色彩感覚が凄いと思った。それだけ自分がNYのモノトーンの渋い色彩の街に慣れているからだろう。ホテルのある池袋駅前など、赤や黄、漫画やイラスト、大きな宣伝文字が町中に溢れていた。こういう無秩序さ、色と色。広告同士が目立ち度を競い合っているようケバケバしい街路は、アジアに共通する匂いなのだろうか。パリやロンドン、ニューヨークでは決してないように思う。特に電車の車体の外壁にまで広告をするのは凄いと思った。 ある日の早朝、池袋の駅に向かっているとき、間違えて脇道の方に行ったことがあった。ふと気がつくとそこら中いったいがラブホテルなのだ。ラブホテル街というと、どうも湿っぽい人目を避けた印象があるが、そこにあるのは極めて普通の街角風景だった。休憩~円、時間~円、という表示がないとラブホテルであることさえ気がつかないような、洒落たデザインのブチックホテル風のもの、パンダのデザインを強調した、幼稚園か遊園地のような外観のもの、今の若い人の好みに合わせてのことだと思う。 ラブホテルだけでなく、ソープランドも同じ通りにいくつかあった。ドアの横に「JAPANESE ONLY」と掲示がしてあり、興味深く思ってそれにカメラのファインダーを合わせて構えた途端、中から中年の男性が「何を撮ってるんだよ!」と怒り顔で飛び出してきた。「撮っちゃいけませんか?」と聞くと、「当たり前じゃないか!」と一喝された。私もかなりずれているが、建物から出てくる人やカップルにファインダーを構える気はなかった。それでもソープは外から写真を撮ってはいけないのが常識らしい。どうもすいません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年05月28日 00時31分26秒
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