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「東京での一週間(5)」
とにかく、東京は一人暮らし、または一人で行動することを好む者にとって過ごしやすい街だと思った。お一人様で退屈をしのぐ場所や娯楽、飲食店が山のようにある。一人で安全にホテルや泊まる場所にも不自由しない。東京が東京になる前、江戸時代の江戸の街も地方からの単身赴任の男の多い街で、その住人たちが過ごしやすいように娯楽や生活空間ができていったという。今なお、その伝統を受け継いでいるのだろうか。今はかつてのように男性限定でなく、女性のお一人様にも同様に快適のようだ。いや、むしろ女性のほうが優遇されていて居心地が良いかもしれない。映画のレディースデーという女性割引日もあれば、電車の女性専用車もある。こういうのはアメリカでは「逆差別」とされるからありえないと思う。芝居も美術館も映画館も、レストランも、平日の昼間は中年女性と学生風の若者だらけだった。 アメリカと比較して、「一人で気兼ねなくどこにでも行ける心地よさ」みたいなもの、それは圧倒的に日本にある。アメリカはやはりカップル文化のせいか、どこに行くのにも男女のカップル、または複数のカップルでできたグループで行く人が多い。それが当たり前のようになっていて、カップルでない女性がパーティや芝居や映画にたった一人で行くのは妙に寂しい、気の毒なことのように見られることが結構ある。それについてアメリカ人の友人に聞くと、パートナーのいない女性が友人カップル主催のパーティなどに一人で行くと、往々にしてボーイハント、または友人の亭主を盗みに来ていると思われがちなのだそうだ。それはアメリカだけでなく、欧米では良くある概念だという。彼氏と別れたばかりの女性や離婚直後の女性は、魅力的であればあるほど警戒されるとか。 その点、日本の女性たちは平気でどこへでも一人で行っているように思えた。チケットを得るために紀伊国屋劇場の列に並んだときも、一人身の女性たちの列が延々と続いていた。みんなそれぞれ本を読んだり、メールを打ったり、同じく並んでいる他者と関わりになることなく、自分一人でそれぞれ楽しく間が持て、時間を過ごせているようだった。美術館やギャラリーはオープニングパーティでなければ一人で行くのはアメリカでも良くあるが、芝居や映画ーーこれはやっぱり一人で行く人の数は日本のほうが多いと思う。日本の人は他者と同じ空間にいても、言葉を交わすことなく静かに共存していられる。それぞれが言葉を交わすことなく、一人でいても妙な連帯感と安心感、ある種の馴れ合った空気があると思った。アメリカの場合、人種の違う人々がどこのグループにも属せずに、同じ空間にそれぞれ個人でいる場合、妙な緊張感がある。アメリカ人がおしゃべりなのも、会話のない空間の緊張感に耐えられないせいかもしれない。若い世代は特に、たった一人で外出して自分を楽しませることはヘタだと思う。だから他者に声をかけて、何らかの関係を持ち、グループに属することを求める人が多い。 昔、米人英会話の先生が言っていた言葉によると、「merge(融合、合併)」というものがアメリカ人にとって非常に重要で、アメリカ人は「merge」されず、パーティや集いに招待されないこと、仲間はずれにされることにひどい失望感を覚えるらしい。「常に仲間に属する」「常にカップルで行動」というのは、一人歩きや一人旅を好み、一人でどこにでもさっさと行く習癖を持っていた私には、かなり億劫なことだった。日本の場合、他者に声をかけて関係を作らなくても、以心伝心で十分馴染んだ空気がすでに存在している。他人同士でも日本で育った日本人である限り、例えば、芝居の列に並ぶ見ず知らずの人にカバンを預けてトイレにいけるような、信頼できる雰囲気が存在しているように思う。だから一人でいても、アメリカのように孤独にならないのではないか。ただ、海外にまで日本人のコミュニティが持ち込みがちな、その他者と自分の境界線の曖昧な、馴れ合った空気が苦手でもあるのだが。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年06月05日 02時07分15秒
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