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友人の死から一ヶ月。でも未だにメモリアルイベントの予定もたたずにいる。彼女の部屋は今、新たにレンタルするために改装されているという。
自殺というのは当人には、苦難からの逃避であり、解放かもしれないが、周囲の人間にとっては実に陰鬱な重い影響を与える事だと思う。昨日、別の友人と自殺について話しているとき、彼女は、自殺というのは恵まれた育ちの人、大事に大事にスポイルされて育った人がやるものだという。彼女は母親が精神病でヒステリー発作を起こすたびに、「おまえなんか死んでしまえ、なぜまだ生きているんだ」と、幼い頃から罵倒されて育ったという。だから世にてから辛いことがあっても、幼児の頃の思いに比べると辛いと感じないそうだ。「せっかく生まれてきたんだ。絶対に死ぬもんか」という気持ちで育ったから、今でも、何があっても死ぬことは考えないという。 私も裕福だが複雑な子供時代を過ごし、大人になったら自活して家を出ることが夢だった。大人になってからは、日本を出て様々な世界を見ることが面白く、何があっても死ぬことなど考えたことはなかった。「強い」と言われることもあるが、ある意味、私は「強い」のではなく、感受性が鈍感になっているのかもしれない。いちいち全身で、悔しさやせつなさ、辛さを受け止めていたら体がもたないので、自分の生きやすいように、自分を方向付けする、辛く感じる仕事や人とは接しない、そういうサバイバル能力が’発達しているのかもしれない。 でも、美しく生まれたり、回りにちやほやされた経験のある人は、意外にもろいかもしれないな、と最近のニュースを見て思った。人生は絶望的でどん底に思われても、意外と谷間を過ぎてみると、ほんの少しずつでも生きられないことはないのだ。また、ある年齢を過ぎると楽に生きられる可能性もある。自ら人生を終えてしまう人は、愚か者というのは言い過ぎだが、軽率だと思う。10代の人は人種、国を問わず、人生を知らないから、軽率になるのは仕方ないかもしれないが。 日本は自殺大国だというが、アメリカでも自殺する人は多い。私の知っている自殺した人は、みんな鬱病を抱えていたり、どこかしら精神を病んでいた。最近亡くなった私の友人も鬱で長期のカウンセリングを受けていたという。 また、ニューヨークのような都会はとにかく日本とは比べものにならない以上、自分から出ていかない限り、完全に孤独になってしまう。信頼できる家族がそばにいないなら、信頼できる友人を一人でも持つこと、その古くからの友人を裏切るような行為をしないことが本当に大切だと思う。新しい友人を作ることは年をとればとるほど、難しい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年05月31日 04時30分09秒
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