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友人の死から7ヶ月。でも未だにメモリアルイベントの予定もたたずにいる。彼女の部屋は今、すでに改装されて新しい住人がは行っているらしい。
実は彼女の一番の友人だったという人が、メモリアルイベントに乗り気でないのか、積極的に動こうとしない。私ともう一人の友人は彼女の交友関係を把握できず、その親友が動かない限り人を集める事も無理だった。それで6月頃からその人をせっついて8月実施で取りかかろうとしていた。しかし彼女は何だかんだと理由を付けて9月になってしまい、10月に突入してしまった。彼女の友人たちが誰だか判明できれば、その人たちを呼べるのだが、それがどうもはっきりしなかった。10年前、彼女の40歳の誕生パーティに50人ものゲストが来ていたが、その人たちは誰でいったいどこにいるのか。 もう一人の友人に言わせると亡くなる前の数年間で彼女が変わってしまい、多くの友人とコンタクトを取らなくなったらしい。その中には彼女の死を知らない人も多いだろう。その人達を見つける方法を考えるうち、ニューヨークタイムズにメモリアルの告知を出してはどうかというのもあった。50ドルほどだというので、それもありかと思った。他にクレイグスリストというコミュニティボードも安く使えそうだった。とにかく彼女の50歳の誕生日であった10月の22日までには何とかしたいと思っていた。 その頃、私は亡くなった友人のメールを見つけることに成功した。それは彼女がたまにジョークなどをチェーンメールで送ってくるもので、そこには20個ほどのメールアドレスがCCとして併記してあった。今年初めにAOLのアカウントを無料のものに切り替えたので、以前のメールは見られないと諦めていたら、なんと保存庫の中に全部あって、今でも見ることができたのだ。彼女の友人たちのメールアドレスもそこにあった。もちろん、それらのメールアドレスの誰が誰だかは分からないが、とりあえず一つ一つに「メモリアルをやる予定だが、参加できますか」という内容でメールを送ってみた。すると、ほとんどのメールが「参加したい」という内容で戻ってきたのだ。しかもそのうちのひとつは彼女の田舎に住む姉さんから、そして別の一つはNYに住む彼女のおばさんと姪からだった。彼女の姉のつてで、田舎の友人や昔のボーイフレンド、セーリングの仲間からもメールが来た。メモリアルブログを立ち上げた人もいた。ほとんどみんなが参加したいと言っていた。20人近くになりそうだった。中には海外にいたり、彼女の死をまったく知らなかった人もいた。でもほぼ全員が参加したいと行ってきたのだ。そこで参加者の問題はなくなり、メモリアルの予定がたてられると思ったら、またそこで難題が起こった。 一応11月9日を予定日とし、会場としては彼女の住んでいたビルの屋上を考えていたのだが、スーパーから拒絶された。スーパーは代わりに裏庭ならOKということだった。裏庭は彼女の最後の場所だから避けたい気もしたが、同じビルに住む友人がそれを希望していた。それで予定は進むかと思ったが、いきなり冬のような寒さになり、季節的にも戸外でやるのは無理ではないかということになり、屋内での場所を探すことにした。その頃、彼女の別の友人だったという女性が自分の部屋のテラスを提供してくれるという。それで万々歳かと思ったら、ただし、彼女自身は現在フロリダに住み、今そこにすんでいるのは彼女の昔のボーイフレンドで、その人が家賃を払っている以上、その人の許可を取る必要があった。そして彼の返事はノーだった。彼は見知らぬ人に部屋にはいって欲しくないという。会場を余所に借りる案は金がかかりすぎると否定され、その時点でもう11月に突入していて、もはやサンクスギビングも近づいてきて予定がたたないという人も出始め、田舎から飛行機の手配も難しくなり、とうとうメモリアルは来年の春まで延期という結論がでたのだ。 私たちはこの半年も何をしていたのだろう。すでに彼女の故郷と彼女が一年学生時代を過ごしたヨーロッパではメモリアルが終わっているというのに、彼女が25年過ごしたこの町では何の予定も立てられないという現状だ。NYには最後の数年間に彼女の行動から不仲になった長年の友人が多い。誰もが苦い思いで彼女の最後の数年間を振り返っているようだ。 でもこのまま彼女の死を悼むことなく何もなしに終わるのはさらに辛いと思うが お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年11月18日 15時59分45秒
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