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何年かに一度、もう一回見たくなるビデオがある。アマデウスは2年に一度は見ているが、今回、5年ぶりくらいにブレードランナー(1982)を見た。近未来のLAを舞台にして、人造人間と人間との戦いをフィルム・ノワール調で描くSF映画で「エイリアン」のリドリー・スコットが監督、フィリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」(早川書房)の脚色。
あらすじは以下。 「2019年。この頃、地球人は宇宙へ進出し、残された人々は高層ビルの林立する都市に住んでいた。休みなく雨が降っているロサンゼルスでは東洋系を始めとして、さまざまな人々がうごめいていた。その1人デッカード(ハリソン・フォード)は、ガフと名乗る男に本署へ連れてこられる。そこで彼はレプリカント4名が地球に侵入したので、彼らを見つけ出せと命じられる。レプリカントとは、遺伝子工学の新技術によって生産された人造人間で、宇宙探索や植民地惑星での危険な労働に従事し、あらかじめ死期(寿命4年)もセットされている。ブレードランナーはレプカリントの犯罪や叛逆にそなえ、彼らを識別し抹殺する刑事のことで、デッカードはなかでも一流だった・・・」 ーー2019年という設定。今から10年後にこういう世界は来ないだろうな。制作の1982年の時点では、37年後にこういう世界がありえると考えられたのだろうか。2008年の今、2045年でもこういう世界が来ることは想像し難いけど。 この映画の魅力はまずビジュアルにある。毎日のように酸性雨が降るというロスアンジェルスの街の映像、特に夜景の美しいこと。摩天楼のビルの谷間にアジアの下町のような露天が並ぶあたり、芸者を使ったネオンサインなど、雑多な感じは香港とかベトナムにでもありそうな雰囲気だ。そして車は空を飛んでいる。今の時代でも、車にジェットエンジンを付けようというアイデアは荒唐無稽だけど、SFの世界では定番なんだろう。コンピューターやネットの進化はこの作品より現実のほうが進んでいる。携帯電話も登場してこない。電話ボックス(テレビ電話)のみだ。宇宙探索や植民地惑星での危険な労働に従事するために作られたという人造人間が何で人そのものの外見や体質構造を持つ必要があるのか、それも疑問だ。むしろ、耐久鋼鉄製のロボット型、アシモのような種類のほうが過酷な労働向きだと思うが。だいたい人そのものの頭脳と体を持ったアンドロイドなんてどうやって作るのか。クローン人間を作るしか方法はないと思うが。しかも労働用ロボットに感情を搭載するのも疑問だ。人間並の感情をもったロボットほど扱いの難しいものはないだろう。 あと、キャスティングが絶妙。レプリカント役の役者は皆美しいが、中でも私の気に入りはスネーク・ダンサーのレプリカントの1人ゾーラ。熟女の魅力に溢れている。逃げまどう彼女をデッカードが情け容赦なく射殺するのだから気の毒になった。20歳くらいのダリル・ハンナも完璧な容姿とスーパーモデルの体型で、でも殺されてしまう。そしてそれを悼むレプリカントのリーダーであるバッティ、4年以上の寿命が欲しかったバッティも、冷酷なのに妙に繊細な感情を持つだけに痛々しく魅力的だ。デッカードと恋におちるレイチェル役のシーン・ヤングもお人形のように完璧にキレイ。逆に人間である(はずの)デッカードに魅力が乏しく思った。見た後、レプリカントが善で人間のほうが悪に思えた。 この映画を最初に見たのは10年ほど前だが、コンピューターのない時代にここまでの特殊撮影が制作できたことにも驚いた。未来都市はすべてマット画と模型で作られたのだろうか。80年代初頭というと、こういう特殊撮影の映画はまだ早世期だったと思うが、とにかくビジュアルの凄さに感動した。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年12月24日 15時25分33秒
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