カテゴリ:カテゴリ未分類
前から予定していた亡くなった友人のメモリアルがとうとう終わった。会場は私が今展覧会を開いているギャラリー。ギャラリーのディレクターに1月から頼んでクローズした6時から8時まで貸してもらうことになった。そこで私ともう一人の友人の間に、例の亡くなった友人と一番親しかった(但し亡くなる前5年は音信不通)という女性がいきなり入ってきて、すべての雑事を任せて欲しいと言い出した。せっかくだからということでそのDに任せることになったが、そこから大変だった。
このDという人物は亡くなった彼女に怒りをもっていた人であり、凄い勢いで人集めを始めたり、イーメールのやりとりを始めたのだが、すべて自己満足の延長線でやっていることが見え見えだった。私はスライドショウのDVDを担当することになり、彼女の持っているという膨大な写真をすべてスキャンしなければならず(まったくやり方を知らないという彼女のために)、やっと百枚近くを展覧会開催前の大忙しの時期に終えたと思ったら、なんと彼女はメモリアル参加予定の30人からも写真を郵送で彼女の元に送ってこさせることにしたから、それもスキャンしろという。自分でスキャンすることができる人だけでも、スキャンしてもらい、それをeメールの添付で送って欲しいとリクエストすると、すごい不機嫌になり、もはやそんなことを言い出せないという。それでまた、スキャンに膨大な時間をとられ、ようやく10時間かかってスキャンを終えてスライドショーをマックのiphotoで作成し、タイトルとエンディングもつけて音楽もマックにあったギター音楽を付けて、やっと終わったと思った。そうすると、彼女はどうしても自分の好みの音楽を付けて欲しいと言いだし、それを私にダウンロードして欲しいという。自分のマシンでダウンロードしてくれ、それを送ってくれといっても、やり方が分からない。CDの焼き方も分からない、でも好きな音楽はユーチューブで見つけた。。云々と聞かない。展覧会とタックス、引っ越しで忙しい中、彼女のボーイフレンドの家まで行って、ユーチューブの好みの音楽というのを聞かせられ、必ずダウンロードしてくれとメモまで渡された。忙しい中、ダウンロードで似たような曲を探し、少なくとも10曲はダウンロードしたと思う。そのほかに、写真をコラージュして大きく伸ばしてプリントする必要もあった。額を買ってそれを入れる仕事も任された。 このへんで、私ともう一人の友人はかなり疲れていた。彼女はギャラリーに椅子が25脚しかないというのに、ありとあらゆる人を招待し始め、その数は35人にもふくれあがり、メモリアルのあとに行くレストランに一人当たり40ドルは取られる店を予約し、亡くなった友人の姉もウイスコンシンから出て来ることになっていたが、彼女のeメール攻勢にかなりまいっていたという。私はもう彼女の日に10通近くくるメールに答える気力もなく、もう一人の友人は発起者から名前を消してくれという始末だった。 自己満足のためにやっているとしても、せめて大多数の亡くなった彼女のことを思ってやって来る人にイヤな思いはさせて欲しくなかった。しかしその願いもむなしかった。 スライドショーは彼女のプロジェクターとラップトップで操作することになっており、そのために会場に早めに来る予定だった彼女はギリギリまで現れず、時間をかけて音楽を有料ダウンロードしてまで作ったスライドショーのDVDは、彼女がスピーカーを持って来なかったため、蚊のなくような音しか聞こえなかった。それで無音でギャラリーから借りたスクリーンに映し出し、まったくテストすることなく、斜めのイメージが次々と映し出された。音がほとんど聞こえないので、ラジオで音楽を流し始めたので、やたらとうるさく、まったくしんみりとイメージに集中することもできなかった。 そこから彼女の従姉妹や友人、最後に彼女の姉が弔文を読み始めた。家族の人たちはさすがに声を詰まらせて彼女への思いが伝わってきた。しかし、Dの招待した彼女の過去のボーフレンドたちまで弔文を読ませる必要が果たしてあったのか疑問だ。その間にDは照明を直せと私に命じ、それが自分の思い通りにいかないとひどく不機嫌になった。そこで私はもうどうでも良くなって「自分でやりな」と匙を投げてしまった。 Dはディレクターということで司会し、最後に一言述べ、みんなで彼女のことを思いましょうと黙祷を呼びかけてメモリアルは終わった。 Dが亡くなった友人の姉とおばから2百ドル近く寄付をもらっているので、私がDVDや額入りの写真のプリントで使った80ドル近いお金をレシートを見せれば返してもらえるはずだった。しかし、それについて何もされないまま、Dはレストランに去って行き、もう一人の友人はもしかしたら、D自身のかかった費用、高いワインやスナックその他に全部行くかもしれないから、諦めたほうがいいかもしれないという。 人が全て去ったギャラリーを掃除しながら、亡くなった友人のことを考えていた。彼女は本当にDのような女性と友人としてつきあえたんだろうか?Dはアイルランド人で外見は華やかな美人だが、こんな性格の人としか身近に付き合えなかったという亡くなった友人を可哀相に思った。寂しがりやの彼女は本当に身近に居る人は誰でも良かったんだろうと思う。 ウイスコンシンから来たお姉さんは本当に良い人で心から亡くなった妹を悼んでいた。この人にだけはメモリアル開催でDでいやな思いをさせたとしたら、とても申し訳なかった。 教訓:イベントには正しい人選が必要であった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年04月06日 06時09分57秒
|