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彼女の写真を毎夜毎夜百枚以上もスキャンして一枚ごとに色やコントラストを修正し、スライドショウを作り上げていく作業は辛かった。体より精神的にまいってしまった。彼女のいかにも屈託のない明るい笑顔の写真ばかり大きくモニターに拡大して眺めていると、なんともやりきれないものを感じていた。笑顔の写真なのに半分泣いているような顔にも見えた。
彼女の家族もスライドショウを見ていて辛かったと思う。とにかく、アスレチックで社交的で、ある写真ある写真、すべてパーティや山登り、セーリング、ダンス、セントラルパークで野球やコンサート、いつもみんなの中心で山のように友達がいて、美人でスタイルが良くて、話題が豊富で、そんな彼女の写真ばかり、80年代から90年代まで山のようにあった。こんな人が自分で死ぬことになるなんて嘘のようだった。しかし2000年を境に彼女の表情から明るさが消えてどんどん体重も増えていき、陰鬱なムードが出てきた。写真の数も2002年以降はほとんどなく、最後は私の前の展覧会、2006年の10月だった。私たちの良く知っていた明るい彼女は90年代で確実に終わっていることがわかった。弔文を読む人たちも、彼女のアルコール中毒で疎遠になっていることを語る人がいた。もったいない一生だった。 ウイスコンシンの田舎から大きな夢を持ってニューヨークに出てきた彼女。スペインが好きでスペインに行ってフラメンコを習っていた彼女。外国人の友達が多かった彼女。25歳年下の従姉妹を自分の娘のように可愛がっていた彼女。いつも山のようにボーイフレンドがいた彼女。彼女の最後のボーイフレンドの姿はさすがに写真の中にはなかった。彼が彼女の不幸の要因だと言う人もいる。確かにそうだろうけど、彼女自身が自分を追い込んで行ったに違いない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年04月06日 06時50分57秒
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