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まったく音信不通でメールの返事のなかったDから突然怒濤のようにメールが届き始めた。3通の長いメールはすべて私ともう一人の友人への恨み言、自分は機器を運ぶのに車を雇って200ドルもかかった、もらったお金はすべてそれに使うべきだ、自分は一人でどれだけこのイベントに奮闘してきたか、あなたには分からない。。云々と書き連ねてあった。
どうやら、もう一人の友人が亡くなった友人の姉がDに$50渡したと私に話したことに慌てているらしい。私がお姉さんに感謝の手紙を書く予定だと言ったことにも慌てている。猫ババする予定だったのに、私に知られてしまい、しかもそのことをお姉さんに告げられてはたまらないということか。 結局、私に払うお金は残っていないが、$50をチェックで送るから費用の明細をボーイフレンドのアパートのドアの下から滑り込ませてくれという。またばかばかしいことを言うと、50歳近い女性を相手にしているから腹がたつのだ、Dは子供だと思えばいい、と自分をなだめて、わざわざ彼女のボーイフレンドの60男の住むビルまで行き、ドアマンにレシートと返信封筒を預けて帰ってきた。このボーイフレンドというのが5番街の高級ブランド店のマネージャーで、テラス付きの家賃が5000ドルのアパートに住んでいるというのも嘘のような話だ。Dにしてもブルックリンの一等地に大きなアパートを所有している。こういう人たちが私たちのような貧民相手に50ドル60ドルのお金を惜しんで猫ババしているのだから、ほとんど笑い話のように聞こえるかもしれない。レストランに行って40ドル50ドルは平気で払う人種の考えていることは理解できない。 もう一人の友人は他の友人に事情を話して私のだした$60をカンパしてくれるという。その友人に、このDのような人物と亡くなった友人はどうやってフレンドシップを長続きさせてきたのか不思議だと話した。そうすると、その人は、Dは誰よりも早く、率先して亡くなった友人とコンタクトを取るのを辞め、メールの返事もしなくなっていたという。亡くなった友人がそういっていたと、その人は言った。亡くなった友人もDも美人で社交的だから、若い時期に楽しい時間を一緒に過ごすときは上手くいっていたのだろう。私がDからスキャンしてスライドにいれろと渡された膨大な写真も、Dと亡くなった友人の酔っぱらったような顔のパーティ写真ばかりだった。 友人が自殺した直後、私が初めてDに会ったとき、この人はひどく亡くなった友人を怒っていた。彼女の死を悼んで怒っていたのではなく、彼女にされたことの数々に対して口汚くののしり、怒っていた。その怒りは未だに萎えていないように思う。ではなぜ、この人は2ヶ月もかけて何十通ものメールを出しまくり、プロジェクターや最高のワイン、高価なレストランを含んだ50人も招待などメモリアルイベントを大きな集まりにしようとしたのだろう。しかも誰もそのような大げさな集まりを望んでいなかったのに。もう一人の友人と私が昨年企画したような少人数のささやかな、でも平和なイベントのほうが、むしろ家族や友人の心に沿っていたと思う。本気で涙を流していたお姉さん、従姉妹たちが可哀相だった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年04月10日 04時17分10秒
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