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一方、90年代に入って30代半ばを迎えてもマドンナの方は一向に勢いが衰えなかった。MTVやらミュージック・ビデオを巧みに活用しながらファッション、ポップアートと音楽を融合し、コスチュームからヘア、舞台装置まで話題になるようなユニークなステージングを次々と作り出した。活動は音楽にだけに止まらず、「エヴィータ」などハリウッド映画やブロードウェイの舞台にも進出している。2000年の『ギネスブック』では「史上最も成功した女性アーテイスト」とも記録され2008年には、ロックの殿堂入りを果たしている。マドンナのツアーは、開催される度に世界各国のメディアが報じるほど評判が高く、マドンナの歴代ツアーの中でも1990年の「Blond Ambition Tour」でのゴルチエの尖ったブラ、ボブ・フォッシーのトリビュートのような振り付けが記憶に新しい。歌は上手くはないが、ダンスの技術は高く、ツアーを重ねる度に、昔ながらの力強いダンス・パフォーマンスは減っていっているものの、年齢を感じさせない観客を魅了するダンスは常に健在である。
90年代半ば、ビジュアル系、ダンスミュージックという共通点があるとはいえ、マドンナはマイケルと同一視され、フリーク扱いされるのを嫌がってた。「私はマイケルとは違う。名声のvictim(犠牲者)ではない」とインタビューで言ってた。無名時代のヌードモデル写真も、「sex」の写真集でヌードを見せてもエロチックなからみを演じても、彼女はいつも主体的でマリリン・モンローのように男性の玩具になっているようには決して見えなかった。むしろ積極的に楽しんでいるのは彼女のほうだった。筋肉のほど良くついた、ダンサーらしい鍛え抜かれた裸はボディビルダーにも似ていて芸術品のようだった。 マドンナはマイケルのような子供の頃に名声を掴んだ天才でない分、 野心家であり、努力家であり、自分のキャリアをマーケティングの波に上手く乗って舵取りする類い希な冷静さがあった。常にビジネスマインドを持ち、男性関係も自由奔放のようで自分のキャリアが傷つくような恋愛はしなかった。イタリア系米人で8人兄妹の3番目に生まれ、幼くして母を亡くし、自分が母親代わりに弟妹の面倒をみていたせいか、若くてもどこか肝っ玉母さんのような太々しい強さがあった。 「ブロンド・アンビション」ツアーの記録映画だったか、自分のツアーチームを率いる彼女は、若いダンサーを叱咤激励しながらも若者の求愛を巧みにかわし、 マスコミにも肝心なところでつけ込まれない強さが見えた。30代前半は子供に関心がないと言っていたのに、やがて40歳手前で母になり、「スパームドナー」と陰口を叩かれたその相手の男性とは結婚せずにやがて英国人の映画監督と一緒になり、今や実子、養子を含めて4人の子供の母になってしまった。(現在は離婚してシングルマザー)。アメリカよりヨーロッパを子育てに選び、イラク戦争にかけてアメリカ批判をしたことから反米だと保守派から強い反発も受けた。でも彼女は相変わらず細身の体を維持して、離婚と同時に28歳年下の恋人ジーザスもでき、逞しく生きている。噂によるとニューヨークに家も買ってアメリカで子育てをするつもりらしい。 一方マイケルの方は90年代に入って音楽性とは別の話題で注目されるようになっていった。 整形を繰り返して黒人特有の大きな鼻を小さくするばかりか、肌の色までどんどん白人のように白くしていく様子は異常だった。 本人は、肌が白くなったのは遺伝性の尋常性白斑(vitiligo)=後天的に全身の皮膚の色素の一部が脱色する皮膚病=のせいだとテレビのインタビューで言っていたが、信憑性は常に疑われていた。カリフォルニアにある「ネバーランド」という動物園と遊園地付きの豪邸では常に大勢の子供たち(男の子)を集め、一緒に遊んだり、自分の寝室に泊まらせたり、ツアーに同行させたりしていた。 ホームアローンで有名になった子役のマコーレー・カルキン、当時11-12歳だった彼も常連だった。 『ブラック・オア・ホワイト』(1991年)のプロモーションビデオに出たことで親しくなったという。 30もとっくに過ぎた男が小学生の男子といるのを好むというと、当然のように変態性癖の持ち主だと疑う人もいた。ゲイという噂は昔からあった。若い頃ブルック・シールズやテイタム・オニールとデイトしたと本人は主張していたが、彼女たちとはどうみても仲の良い友人にしか見えなかった。 彼は女性と恋愛するにはあまりにもナイーブに見えた。そんなとき、誰もが予想していたような事が起こった。1993年マイケルは少年に性的虐待を行った疑惑で少年の父親に訴えられ、ワールドツアーを途中で断念することになったのだ。 マイケルが相手だけに少年の父親の金目当てであると見る人も多かった。 最後には大金で示談になったようだ。彼は年配の女性に援護者が多く、エリザベス・テイラーは互いに絶大なファンで知られていた。エリザベスは何かとマスコミに登場しては彼を援護し続けた。マイケルにとって母親のような存在だったのだろうか。彼が整形を繰り返すのは、若い頃のエリザベスの顔に憧れているからだという説もあった。 彼が外見だけでも「本当の自分以外の何者か」に成りたがっていたのは、単に「黒人がイヤだ、白人になりたい」思いからだけだろうか。マイケルが幼い頃に兄弟から鼻の大きいことでからかわれ、コンプレックスを持っていた、専制的な父親に暴力を受けていたという噂もあった。90年代には彼の妹のジャネットもまた、彼を追いかける形でデビューしていた。彼女も鼻はまっすぐに整形していたが、それを取りざたされることはなかった。むしろ世間の目からは変人の多いジャクソン一家で唯一まともだと好意的に見る人が多かった。長姉のラトーヤは全身整形で化け物のように見えた。 94年にプレスリーの娘リサマリーと結婚したとき、あまりの意外な組み合わせに仰天する人が多かった。リサマリーは若くしてすでに結婚出産離婚を経験しており、性的にノーマルな若い女性に見えたから、これは本当の結婚でなく偽装ではないかと言う人が多かった。リサマリーとは2年で離婚している、最近のピープル誌のインタビューでリサマリーはマイケルとの結婚を語っている。 Lisa Marie Presley: ""I do believe he loved me as much as he could love anyone and I loved him very much ... I became very ill and emotionally/spiritually exhausted in my quest to save him from certain self-destructive behavior and from the awful vampires and leeches he would always manage to magnetize around him. I was in over my head while trying ... He was an amazing person and I am lucky to have gotten as close to him as I did and to have had the many experiences and years that we had together." Source: Brian Orloff. "Lisa Marie: Michael Would Talk About His Death." People.com. 6/26/2009. 「彼ができる限りの愛情で私を愛し、私も彼を愛したと信じている。私はひどい病気になってしまい、彼の自己破壊的な行為や、彼が恐ろしい吸血鬼やヒルを常に彼の回りに引き寄せることから、彼を救い出すことに感情的にも精神的にも疲れ果ててしまった。助けたくても理解できなかった。彼は驚くべき人で、 彼と知りあえて多くの経験を持てたこと、一緒に過ごせた時間を幸運だったと思う」。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年06月29日 05時03分32秒
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