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去年の7月からまた間が空いてしまった。その間、何をやっていたのか。
まず、7月中旬に姉からガンで長期入院中の父の病状が悪化したという電話がきた。仕事先にあやまってやりかけの翻訳仕事をキャンセルさせてもらい、すぐに翌日の正午初の飛行機チケットをネットでゲットして、家を出たのが翌朝の10時だった。 外は大雨でタクシーが捕まらない。20分ほど待って、諦めて地下鉄でタイムズスクエアに出ることにした。そこでニューアーク空港行きの空港バスを待つこと30分、これもなかなか来ない。その時点でもはや11時を過ぎようとしていた。バスもあきらめて、再びタクシーをひろうことにした。しかし、一行に空車が来ない。ようやっとひろえたのが11時15分頃だった。そこから30分かけてようやく空港に着き、カウンターに行くと、私のチケットは出発1時間前に来ないと乗れないネット予約だという。そこを交渉してなんとか入れてもらい、発着場所に駆けつけて席に付いたのがギリギリドアが閉まる直前だった。14時間かけてコンチネンタルエアラインで成田まで直行。成田に着くと全日空に乗り換えて伊丹へ、そこから父の入院先の病院に着いたのが日本時間で翌日の夜だった。 病室の父は危篤と言われたが意識もあり、話もできた。腕には点滴の管が付けられていた。病室の外で兄弟に事情を聞くと、頭にも腫瘍ができたので、それを放射線で取る治療をするかもしれないが、どちらにしてもあまり長くはないという話だった。また、父は自力でトイレに行けないのでおむつ替えが必要で、体が大きいのえ寝返りをさせるのも大変という話だった。その夜は母と実家に行って泊まったが、どれくらい日本にいることになるのか検討も付かなかった。翌日から母が病室に泊まり込むことになり、結局、私が一人で家で犬の世話や電話番、届け物の受け付けをすることになった。それから毎日朝晩、犬の散歩にいき、午後に病院に行く生活が始まった。最初は梅雨のような天気で良かったが、7月下旬になると真夏日が始まり、外に出るだけで熱射病になりそうなカンカン照りが続いた。 そのうち、寝ていた部屋が長いこと閉じられていたようで、ダニが沸いていることに気がついた。毎日掃除機をかけ、布団を干したが、いっこうにききめがない。 家の中も外も虫がやたらと多く、庭に出ると蚊に刺されるのもつらかった。郊外のせいか蝉が五月蠅いように鳴いていた。日本の真夏など20年も経験してなかったものだから、体がついていかない。 かといって、昼間じっと家に籠もっているわけにもいかない。35度になる最高真夏日はさすがに親に行って休ませてもらったが、他は毎日のように電車とバスで病院に通った。 私が病院に行っても何の役にたつ訳ではなかった。ただ座って母と話しているか、お客さんがきたら挨拶する程度だった。おむつの交換時には父も見られるのをいやがるので病室の外にでた。母は腰や背中が痛いと言っていたが、他に泊まり込みで世話のできる人がいなかった。ヘルパーさんも来てくれたようだが、母親が父を世話するのが一番のようで、ずっとベッドの横に簡易ベッドを入れて泊まり込んでいた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年02月02日 18時36分09秒
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