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日本にいる間、毎日5時起きで犬を散歩に連れて行き、掃除や洗濯、テレビを見て昼まで過ごし、そのあと家を出て、近所の駅やネットカフェでメールをチェックし、病院に行くという生活だった。帰宅すると犬の散歩にいき、夕飯のあとはテレビを見て11時までには寝ていた。うちにはコンピューターもないし、ラップトップも持って来なかったので仕事はできなかった。
日本のテレビは、ひな壇のようにコメンテーターのゲストが後ろにならぶバラエティショーが多く、しかもゲストの顔ぶれがどこのチャンネルも同じようだった。ちょうど酒井法子や押尾学の麻薬事件があったせいか、どこのワイドショーもその事件ばかりだった。まるで日本全国民が平均的に井戸端会議をしているような雰囲気だった。 その中で、NHKの戦争特集のドラマ「 ヒロシマ・少女たちの日記帳」というのが抜群に良かった。 このドラマは当時の多感な少女たちの視点で描かれているという点で良かった。アメリカのPBSで放映してくれないかと思った。あと、高校野球も久々に見ると面白かった。 若手の演歌歌手が離れ島キャンペーンにいくというドキュメンタリーも面白かった。彼が誰だかわからなかったけど、あとで大江裕という歌手だとわかった。「田舎に帰ろう」という番組で有名人が田舎に行って見知らぬ人に頼んで泊めてもらったり、関西のバラエティでも予告なしにリポーターが店や人を訪問するというパターンが意外性があって面白かった。昼の帯ドラマは市原悦子の「岸壁の母」が面白かった。タモリの「笑っていいとも」はぜんぜん面白くなくなっていた。NHKのアナウンサーや番組が軟派になっていて民放風なのにも驚いた。 さて、予定では私は8月15日にアメリカに帰ることになっていた。母に言うと、がっかりしたようだったが、私の仕事も限界にきていた。父は放射線治療をしてから頭が焦げて黒くなり、意識も遠のいてきていた。でも話は長くなければできた。一旦アメリカに戻り、再び日本に戻ったのは、8月末、父が亡くなったという知らせを受けてからだった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年02月02日 19時50分57秒
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